切り揃えられた石垣が美しい。
切り揃えられた石垣が美しい。
石垣の上には櫓がのっていた。
ここらから本丸までの坂道と門を通りますと、あたかも登城する武士にでもなった気分になります。
ただ、こちらの武士は運動不足で、坂に負けそうになりますが。
中之門の石垣は登城する大名にアピールする為、見た目重視で石の継ぎ目を揃えて積んでいるので綺麗です。
大手門から入ると、同心番所⇒百人番所⇒大番所、そして中之門につながります。
見事な石垣に囲まれ、重厚かつ素晴らしい歴史的資産です。
江戸城の大手側(正面玄関側)の登城ルートをたどると、大手門を過ぎ、大手三の門を抜けると左手に百人番所、右手に中之門跡があります。
中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口を作り、百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていました。
中之門石垣は江戸城の中でも最大級の巨石が使用され、目地がほとんどない、各段の高さを水平に揃えて積んだ整層積(布積み)の美しい石垣です。
構造上は少し弱くなりますが、大名の登城ルートにあるので、見た目の美しさを優先させたのです。
1638年、原形となる門と石垣が普請。
1657年の明暦の大火で、江戸城内の大部分の建物を失った翌年に熊本藩主・細川綱利によって普請され、1703年、元禄大地震で倒壊した石垣を鳥取藩主・池田吉明が修復したもの。
中之門石垣には、本丸御殿への登城口として門の上には渡櫓が配置されていました。
名前 |
中之門跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
将軍家への奉公の為に登城した大名・旗本は大手門に供を残し乗物を降りて徒歩で太刀持荷物持ちを伴い進んでいきます同心番所と百人番所は形式的なチェックだけで通り過ぎますがこの門内にある大番所は名目上旗本が警備しているので大名も無視はせずに会釈して進みますまたこの門までは御三家は乗物で来れましたがこれ以上乗物で進めるのは門跡・勅使・院使だけ因みに御三卿や甲府・館林の御両典は将軍家家族なのでこのルートを使いません。