特別に涅槃図を見せて頂く事が出来ました。
恵日山 高伝寺は、佐賀城跡の南西3kmほどの国道208号線(環状南通り)の高伝寺交差点から南へ200mほど入ったところに伽藍を構える曹洞宗の寺院です。
1552年(天文21年)に当時龍造寺氏の家臣だった鍋島清房により、現在の禅宗寺院として創建されました。
以後、清房の孫である勝茂を初代とする佐賀藩鍋島家の菩提寺となりました。
1871年(明治4年)最後の佐賀藩主鍋島直大が散在していた鍋島家先祖の墓と元主君である龍造寺家の墓を集めて整備したため、龍造寺隆信や佐賀藩歴代藩主の墓所があります。
古くは万松閣につづく約150mもの松並木(参道)が入口、山門から本堂まで続く道のりであり、今もその趣を残しています。
また、約700本と言われる梅花は開花シーズンになると多くの参詣者で賑わう名所として知られています。
梅と歴史が一体となった聖なる名所として別格な寺院です。
龍造寺家・鍋島家の菩提寺ですが、かなり寂れていて、雑然としていて手入れが行き届いていない様子が漂っています。
曹洞宗は、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の1つで、日本仏教においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つです。
鎌倉仏教のひとつで、道元は、臨済宗黄龍派の明全に随身した後、共に宋に渡り、天童山で曹洞宗の天童如浄(長翁如浄)に師事して開悟(身心脱落)して修行が終わり、1226年に帰国して広めました。
本山は永平寺(福井県)・總持寺(横浜市鶴見区)です。
専ら坐禅に徹する黙照禅であることを特徴としますが、仏陀つまり悟りを開いた人・目覚めた人の教えであるので、出家在家に拘らず、求道者各自が悟りを開くことを標榜します。
鍋島家と隆造寺家の御位牌を御守りしてあり、ご住職様のお話しを聞けました。
梅の花の時期は、静かな庭が風情溢れるでしよう。
佐賀駅周辺の名所旧跡のうちでは比較的ましと言うことで★三つの評価にしましたが、いろいろと微妙です。
堂宇はそれなりに立派です。
これぞと言うほどの文化財はありませんが、見ごたえはあります。
さすがは龍造寺家の菩提寺です。
ただ、龍造寺家の墓所(兼梅園)は荒れ放題でした。
そこら中に枯れ草が積まれ、あちらもこちらも蜘蛛の巣だらけです。
一日二日手入れをさぼっただけではこうはなりません。
拝観受付の際のお寺の方の口ぶりから察するに、梅の見頃と涅槃図の公開時期以外に参拝者が来るとはそもそも想定していないようです。
ただ、かつては島津家、大友家と九州の覇権を競い合いながらも沖田畷の戦いで無様に敗死した、一代の梟雄・龍造寺隆信には似合いの扱いと感じられなくもないです。
個人的には隆信の墓を拝めただけで及第点ではあります。
遠路はるばる参拝するほどの価値はありませんが、佐賀市にいらした折にはお立ち寄りをお勧めします。
入場料金が要ります❗1人300円。
素晴らしい紅梅や白梅楽しめます。
咲き始めでこれから良さそうです!
入口の三門は堂々と立派です、曹洞宗の禅寺で1552年に鍋島清房が一族の菩提寺として建立しました、本堂裏のお霊屋には龍造寺、鍋島の歴代の藩主、戦死者、殉死者の墓があります。
期間は過ぎていたのですが、特別に涅槃図を見せて頂く事が出来ました。
ゆっくりと拝観させて頂きました。
屋内にも鍋島一族の仏像は有るのですが、墓地には鍋島家のものもありますが、それ以上に龍造寺家のお墓がかなりたくさんあり、その中でも龍造寺政家公(隆信公の嫡男)のお墓があらゆる墓より大きかったです。
鍋島直茂を養子にしたからでしょうか。
お寺オリジナルのご朱印帳あります。
世界でも珍しい、涅槃図に猫が描かれています。
ネズミから画を守ったお礼として、書き入れられたそうです。
龍造寺政家墓所。
肥前の戦国大名。
戦国大名としての龍造寺氏の最後の当主。
娘 安姫は、大坂の陣で豊臣方武将として真田と共に活躍した毛利勝永(森勝永)の正室。
龍造寺家御由緒の名刹で本堂の本尊薬師如来様も文殊菩薩様も見事でした。
でも曹洞宗のお寺にしては荒れてて梅もキレイなんですが何だか寂しい気持ちになりました。
佐賀藩の藩祖から代々の藩主が眠る鍋島藩の菩提寺。
佐賀に来たら是非訪れたいところ。
佐賀県独特の物静かさな寺がそこにある。
すべての季節に訪れたわけではないが、この寺は梅の季節が良い。
歴史に名を刻んだ故人をとむらうには、派手さはいらない。
梅の静かさがにあってる。
名前 |
高伝寺(曹洞宗) |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0952-23-6486 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
初めて、拝観料支払窓口に座るシャム猫見ました番人してました〜💞