姓を戸祭と改め、宇都宮城の支城として当城を守った。
戸祭城(戸祭中城)跡 / / .
宇都宮泰綱の孫三河守泰貞の子孫は、姓を戸祭と改め、宇都宮城の支城として当城を守った。
正平六年(観応元年ー一三五一年)、薩埵山合戦には、城主戸祭五郎高勝が討死した。
慶長二年(一五九七)、宇都宮氏の滅亡とともに廃城となった。
現在は宅地化されて跡形もないが、中城という所にあって薬師堂付近が本丸跡であったと思われる。
ーーーー『日本城郭全集2』p269
名前 |
戸祭城(戸祭中城)跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
石碑のみ。
周りは立派な長屋門の家が多く、古くからの土地であることは分かるが、遺構は少しもない。
石碑の字も読みづらい。