名前 |
三代目 中村仲蔵の墓 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.5 |
三代目 中村仲蔵(さんだいめ なかむら なかぞう)文化6年9月9日(1809年10月17日) - 1886年(明治19年)12月24日幕末から明治初期にかけて活躍した歌舞伎役者。
屋号は成雀屋、舞鶴屋。
俳名に秀雀・舞鶴・秀鶴など。
江戸日本橋住吉町に生まれる。
幼名富太郎。
父は元足軽から浅草の宿屋の番頭を務めた人物で、母は舞踊志賀山流家元の三代目志賀山せい。
父の死後振付師の修業に入ったが、文化11年(1814年)の冬、歌舞伎役者の五代目中村傳九郎に入門し、中村鶴蔵の名で文政元年(1818年)11月、江戸中村座『伊勢平氏摂神風』で初舞台を踏む。
その後江戸や地方の舞台で修業を続け着実に力をつける。
「鰐口」とあだ名されるほどの大きな口で容貌には恵まれなかったが、敵役、老役、所作事に優れ、門閥外から幹部俳優に這い上がった人物である。
当たり役は上記の蝙蝠安のほか、『仮名手本忠臣蔵』の加古川本蔵、『村井長庵』の早乗三次、『梅雨小袖昔八丈』の家主長兵衛などがあり、そのほとんどは四代目尾上松助に継承され現在に伝わっている。
文才もあり、自叙伝『手前味噌』、句集『絶句帖』などの著作を残している。