大きなお地蔵さんが鎮座してます。
日暮里駅南口の改札を出て左手に進むとすぐに護国山天王寺があります。
ここ天王寺墓地には、有名人の墓も多数あるとかで、今年4月からのNHK朝ドラ「らんまん」のモデルとなった「日本の植物学の父」といわれれる牧野富太郎氏の墓もあるそうです!!
早番を終り、駅へのペデストリアンデッキで一面の青い空を見た。
宛もなく逆方向の電車に乗り上野で降り、北へぶらぶらと歩いた。
この沿線の神社仏閣は相当数訪れていたが、天王寺は初めて訪れた。
寛永寺を筆頭に維新以来の厳しい時代に翻弄されたが、慎ましく静謐な寺院である。
近代的な感じを受けながら、歴史を感じさせるお寺です。
境内も綺麗。
私との関わりにおいて、重要な寺院です。
花祭りや施餓鬼供養は毎年参加しています。
今年は3年振りにお寺で施餓鬼供養が開催されますように。
静かなお寺さん。
以前この近くを通ったのは10年くらい前、山手線沿いを徒歩で一周した際、一本歯の下駄を履いたガタイの良い僧侶を見たのがこの辺りだった。
今日は日暮里駅まで歩いている途中で、門から大仏様が見えたので伺いました。
静かで時がゆっくり流れている感じで心が落ち着く。
ここにベンチがあったら、ずっとここに座って居られそうな気がする。
2022/5/28
ゆるりとした時間が流れる静かな寺院です。
寺院は掃除が行き届いている。
本尊は毘沙門天。
谷中七福神。
有名人のお墓有り。
近くには焼失した五重塔跡地も参考に。
素晴らしい庭、そして見事な桜。
桜の名所の一つです。
静かに佇む禅寺で庭のお手入れが行き届いて落ち着きのある場所ですね❗
鎌倉時代半ばに日蓮宗寺院として開かれ、当時は感応寺という名称であったが、江戸時代の5代将軍綱吉の頃には時の15世日遼と先代の14世が配流となり廃寺になる所であった。
時の寛永寺貫主の働きかけにより天台宗寺院として命脈を保った。
幕末には再度日蓮宗への宗派切り替えが画策されたが果たせず名称も感応寺から護国山天王寺へと変更された。
明治時代初期には廃仏毀釈により多くの寺領を没収されている。
かつては幸田露伴作の「五重塔」のモデルとなった谷中五重塔は先の大戦で消失した。
現在の谷中霊園内にその跡地が保存されているが、江戸時代には谷中霊園の敷地も天王寺の寺領だったのである。
JR日暮里駅南口より徒歩3分。
緑の豊かな谷中霊園の桜並木の参道の突き当たりにあります。
天台宗の寺院。
ご本尊さまは阿弥陀如来さま。
平安時代の文永11年(1274年)当時は感応寺という日蓮宗の寺院として創建されています。
境内に入ると大きな大仏さまがお出迎え。
こちらは江戸時代に建てられた釈迦如来坐像で穏やかな優しい雰囲気。
1700年(元禄13年)に徳川幕府公認の富くじが興行され、目黒不動、湯島天神と共に❬江戸の三富❭として大いに賑わった歴史があるそうです。
谷中七福神巡り(1/1~1/10)で参拝。
武道成就、降魔厄除、家内安全、夫婦和合の神さまである「毘沙門天さま」が祀られています。
目黒不動、湯島天神とならんで、江戸の三富と呼ばれた幕府に公認された富くじを行っていたお寺です。
今ではこじんまりとしてしまっていますが、実は谷中霊園はこのお寺の敷地だったんですって。
桜の季節に訪れたい場所ですね。
とても落ち着いた雰囲気を感じられるいいお寺だと思います。
子連れの友人たちと4月末に訪れました。
ちょうど八重桜があちらこちらに咲き誇っており、とてもきれいでした。
広大な敷地なので待ち合わせは大変ですが、とにかく敷地が広く芝生なので、小さい子供が走り回っても安心です。
みんなで、食事を持ち寄って、のんびりピクニックにはおすすめです。
🎑7箇寺谷中七福神巡り🎑天王寺Tennoji temple護国山天王寺はもと長燿山感應寺尊重院という日蓮宗寺院として鎌倉時代に創建Gokokuyama TennojiFormerly called Choyozan Senjo-in Temple.Founded during the Kamakura period as a Nichiren sect temple.享保年間には富くじ興行が許可されたことで賑い、湯島天満宮、目黒不動龍泉寺とともに江戸の三富と称されるほどに賑わっていたDuring the Kyoho year, it was crowded with the permission of the lottery box office, and it was crowded with Yushima Tenmangu Shrine and Meguro Fudo Ryusenji as Edo's Mitomi.谷中七福神 毘沙門天Yanaka Shichifukujin Bishamonten.緑に囲まれた広大な谷中墓地の一角にあるため都心部にもかかわらず静寂な環境に恵まれているOf the vast Yanaka cemetery surrounded by greeneryBecause it is in one cornerDespite the city centerBlessed with a quiet environment.
日暮里駅近く アクセスがよい。
大仏と対していると落ち着きを感じます。
初めての谷中七福神巡り 来て良かったです。
各寺院を回って新年早々 穏やかな気持ちになれました。
是非一度は回って見てください。
ご本尊は阿弥陀様ですが、伝教大師親刻とされる毘沙門天が祀ってあります。
江戸時代は、富くじも行われていたそうなので、賭け事をやる方は、勝ち運、財宝の神とされる毘沙門天をお詣りしてみるといいかもしれないですね!境内は15分あれば参拝できます。
近代的な外壁からお会いできる大仏様が最高。
893のお葬式の時にそばを通るとスゴい迫力!!
静かな境内でしばらく座って居ました。
沙羅双樹、泰山木を前にした、本堂がとても良い感じです。
今度は、さくらの季節に来たいと思っています。
本堂はコンクリートの建物、比較的新しい、大仏様は立派です。
梅が咲いていい雰囲気…
駅からも近く大仏があるとは思わず、東京でゆきつりが見られるとは以外でした。
毘沙門天はお正月は開いているそうです。
大仏様をみながら休憩できるベンチもあり、待ち合わせや休憩にも良い所。
2018年1月9日に参拝谷中七福神巡りにて行ってきました。
谷中霊園の近くのお寺です。
周辺にもたくさんのお寺がありました。
入口がモダンな感じのお寺でした。
こちらは、谷中七福神巡りの毘沙門天様がいます。
こちらから谷中七福神巡りの4か所目に行きました。
御朱印は1種類いただきました。
谷中七福神巡り毘沙門天。
2018年元旦。
谷中七福神、毘沙門天を祀るお寺です。
色紙に御朱印をいただきました。
本堂からは、高い建物が見えて、この場所の時間が止まった感じがしました。
こちらに向かう道中には、数々のお寺があります。
立ち寄ってみても、良いと思います。
大きなお地蔵さんが鎮座してます。
江戸時代末期には彰義隊が陣を張っていたお寺です。
2017/1/21拝受 谷中七福神の毘沙門天。
美し過ぎる本堂だ。
銅造釈迦如来坐像は圧巻でした。
天王寺の御朱印(阿弥陀如来)と谷中七福神(毘沙門天)の御朱印。
2種頂きました!
2016/1/7谷中七福神巡りで毘沙門天様とご本尊の2種類の御朱印をいただきました。
境内地が広く、二つある山門や、立派な大仏像もあります。
本堂左奥のシイの大木も見事ですよ。
春はしだれ桜もきれいなのでしょう。
2014年1月6日訪問。
ちょうど谷中七福神めぐりの時でした。
この立派な銅像は2010年物だそうで、合掌をしているのが珍しい?そういえば鎌倉のモノは合掌してなかったっけ?そのあたりの事って、私にとっては・・・・、おっと仏様にそんな発言をすると、これが炎上しちゃいます?なんてね。
でも立派だよ。
追記同じ写真を掲載しました。
あしからず!
2016/02/09に谷中七福神(毘沙門天)で参拝しました。
天王寺(てんのうじ)は、東京都台東区谷中にある、天台宗の寺院。
正式名称は「護国山尊重院天王寺」である。
境内の本堂手前左手には、銅製の釈迦如来坐像が露地されています。
像背面銘文によれば元禄3年(1690)5月、神田鍋町に住む太田久右衛門が鋳造したとかかれています。
また、願主は未詳ですが、当寺が天台宗に改宗する前の日蓮宗最後の住持・日遼(にちりょう)の名が刻されています。
青銅を材料とし、割型の製法で鋳造され、螺髪は旋毛形、肉髻珠・白毫相を表し、衲衣(のうえ)・褊衫(へんざん)を着け、両手を胸前で合掌し、大仏座上に結跏趺座します。
大きさは像高296センチメートル、髪際高241センチメートル。
なお本像は、江戸期の史料に丈六仏と紹介されていますが、本像に関しては、髪際高を像の高さとしたものです。
丈六仏とは、1丈6尺の高さに作る身長を持つ仏像をいい、坐像の場合は、同じ身長の立像の二分の一の高さ、8尺の坐像が丈六です。
本像ははじめ旧本堂右側の地に建てられ、明治7年の谷中墓地開設のため、墓地西隅に残されていたところ、昭和8年現在地に基壇を新築、修理を加えて移され、昭和13年、基壇に納骨堂が設置されました。
本像について江戸名所図会(えどめいしょずえ)や新撰東京名所図会(しんせんとうきょうめいしょずえ)に記載があり、谷中地域の、さらに江戸・東京のシンボル的な存在だったと知られます。
また、本堂より上野側に「天王寺五重塔跡」が礎石のみ残っている場所がある。
この五重塔は、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルにもなった天王寺の五重塔を1908年(明治41年)に当時の東京市に寄贈されたもの。
東京の名所のひとつで、谷中霊園のシンボルになっていた。
谷中五重塔放火心中事件は、1957年(昭和32年)7月6日早朝に東京都台東区の谷中霊園内の五重塔が、心中による放火で焼失した事件である。
名前 |
天王寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3821-4474 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
碑文谷の円融寺も、もとは日蓮宗(法華寺)で、この円融寺から転住した日耀が天王寺を中興しています。
しかし、天王寺も円融寺も不施不受派に奉じたため江戸幕府から邪宗とされ、天台宗に改宗したという共通の来歴があります。
いまは谷中墓地参道の桜並木に見守れて穏やかです。