品川宿の本陣があった場所です。
名前は聖蹟公園になっていますが、東海道品川宿の本陣跡です。
明治5年に宿駅制度が廃止された後は警視庁品川病院となり、昭和13年に公園として整備されたそうです。
明治元年(1868)の明治天皇東幸の際に行在所となったため「聖蹟公園」という名がついたそうです。
東京市長の撰文になる「聖蹟公園由来の碑」「聖徳の碑」「御聖蹟の碑」等の碑が一角にまとまってあり、復元の井戸もあります。
旧東海道散策時ちょっと休憩に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
位置は旧東海道と山手通り交差点近くにあります。
偶然、通りかかった際、盆踊りに遭遇。
四方に延びる赤い提灯がとても綺麗だった🏮もともと宿場だったみたいで、どうにも旅のご縁があるみたい。
2019/08/25 日本旅 TOKIO編。
時間帯によっては子どもたちで騒がしいですが、ベンチでくつろげます。
周りの叢に結構蚊がいます。
品川宿の本陣跡。
何も残っていない。
ベンチ、水飲み場、トイレ、ゴミ箱があり広場も広いので休憩するには良いです。
道路が近いので静かではないですけどね。
宿場まつりなんかの時はイベント会場にもなっていて楽しいところです。
旧東海道品川宿の本陣跡を公園化し聖蹟公園に。
1868(明治元)年、明治天皇の京からの行幸の際、この品川宿本陣が行在所となった事から聖蹟公園と命名された。
1872(明治5)年、宿駅制度の廃止後この場所に警視庁病院などなっていたが、昭和の時代に地元代議士の働きかけにより、明治天皇行在所として昭和13年聖蹟公園として開園。
現在は石碑や公園化に尽力した石井鉄太郎のより銅像があり、区民憩いの公園として地元民やサラリーマン等に愛される。
山手通り沿いにある。
品川宿本陣跡を公園にした。
聖蹟の由来は明治天皇の行在所になったから。
旧東海道側からの入り口もある。
敷地は結構大きいが、遊具は滑り台 ブランコ ロッキング遊具位で、公園と言うよりは広場と言う雰囲気。
園内には復元井戸の他、品川区名誉区民第一号 石井鐵太郎像や、夜明けの像と言うタイトルの少年像がある。
中規模で遊具は少ない。
でも、町内の盆踊やイベントにも使われる地域の公園です。
広めのトイレは男女別になっていますが各1です。
小さい子供さんが走り回るには充分な公園です。
9/28~9/29の2日間に渡って『しながわ宿場まつり』に行って来ました。
品川宿本陣跡とのことで行ってみました。
それっぽく感じられるのは井戸がありましたが、何の説明もなく当時から使われてるのかもわからず…。
子供の遊び場として適切です。
京急本線の新馬場駅近くの公園。
東海道一番目の宿場町「品川宿」本陣跡。
東海道五十三次の品川宿があった場所です。
新馬場の史跡❗品川&~🎶荏原両神社のおひざ元は歴史的な遊びが生きています。
品川本陣跡を公園に整備したものです。
明治天皇が本陣跡にきたので聖蹟なんだそうですが名前のわりになんもないというか至って普通の公園です。
公園の隅にちょっと多めに石碑があるくらい。
すぐ隣の建物が児童館なので子供らが集まって一生懸命DSやってました。
最初は二宮尊徳の像があったそうですが「現代でも親しみやすい形に」ということで新聞少年の像がたっています。
肩から紐かけて新聞の束を抱えるスタイル。
これもとっくに時代に乖離してるってゆーか。
今だったらなんだろ。
子供が働く時代じゃないからなぁ。
はじめてのおつかい像にでもなるんだろうか。
広くて春には花見をすることが出来ます。
品川宿本陣跡を公園化したためか、記念のモニュメントも多数あるが、公園としては整備された感じでは無く残念。
名前が高貴(?)な感じなので期待してしまいますが、滑り台、ブランコなどもそろっているいたって普通の公園です。
旧街道からすぐに入れる便利なロケーションで、広々としているので子どもも安心して走り回っています。
トイレもあって便利ですよ。
品川宿場まつりの地方物産展の会場になっていました。
品川宿の本陣があった場所です。
名前 |
品川区立聖蹟公園 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
03-3777-1111 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
遊具も少ないので、逆に高学年の小学生があまり居ないので、未就学の子供がボール遊びや走り回るには十分な広さがある公園です。