昔の文献などで(思ふ)と書いて(思う)と読むように...
昔の文献などで(思ふ)と書いて(思う)と読むように(かぎやで風)と書いて本来は(かじやで風)と読むのがそのままかぎやで風として周知されてると本で読んだ事があります。
今歌われてる歌詞はきゆぬふくらしゃや なうにじゃなたてぃるちぶでぃうるはなぬ ちゆちゃたぐとぅですがコチラの歌碑が原曲らしいです。
ここからは完全に個人的解釈ですが、上記の歌詞は今日の嬉しさは何に例えよう(花が咲きそうな)蕾に露(水滴)が出会ったかのよう(な喜び)だそしてこの歌碑はこんな果報が訪れるなんて夢にも見なかった鍛冶屋の風格(技術)がべたっと(すんなり?)身についた時のよう(な喜び)だ言ってる事は同じような事だと思います。
ただなぜ前者の歌詞が定着してるのかまでは勉強不足の為分かりませんが…にしてもかぎやで風が鍛冶屋で風だと分かって感動した今日この頃でした。
辿り着くまでの道のりも集落の雰囲気もとても良いので、民謡されてる方は1度訪れてみては?ただ民家の敷地内にある為、家主さんにひと言断って入るのをオススメします。
名前 |
かぎやで風節の歌碑 |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
第二尚氏の始祖尚円王・金丸は、不遇の若いときに奥間の裏山にあるインツキ屋取にかくまわれて世話になった奥間鍛冶屋の旧恩を忘れず、その後1470年に琉球王に就くと 奥間鍛冶屋の次男正胤を国頭按司に取り立てた。
その時、正胤が喜びのあまり即興で詠んだ「大きな果報が得られようとは夢にも見ない事であった。
鍛冶屋でいろいろ物を作ってきたが、そのおかげで思いがけぬ果報が身にぴったりとついた(いいことをすると思いもよらぬ果報があるものだ)」という意味の歌が「かきやて風節(鍛冶屋手風節)」の原歌といわれ 今日まで伝わっている。
「かぎやで風節」は、国の繁栄、五穀豊穣、子孫繁栄、航海の安全、公事公務の遂行、慶事等祝意を表すときに歌われる事が多い。
また国王の御前や高貴の座で思納節など5節一組の初めに奏されることから「御前風」の異名もある。
-碑文より-