須恵区の岡眼科と上須惠区の田原眼科の2眼科家系があ...
上須恵眼療医 田原養全宅跡 / / .
名前 |
上須恵眼療医 田原養全宅跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
日本四大眼科田原眼科屋敷跡高場順世江戸時代から、須恵町には、須恵区の岡眼科と上須惠区の田原眼科の2眼科家系がある。
両家とも江戸時代の福岡藩御典医。
田原眼科は江戸時代には日本四大眼科の一つ。
岡家と田原家は、天草出身の高場順世(たかばじゅんせい)から医術を学んだ。
「眼目療治帳」江戸時代の田原眼科の治療記録『眼目療治帳』が現存する。
患者の出身地は、北海道から南は鹿児島までおり、年間1,000人以上もの患者がこの地に治療(目養生)に訪れたことが記されている。
眼病人宿眼病人宿は、眼病の治療のために岡眼科や田原眼科を訪れた患者が泊った宿。
上須恵村や須恵村は、もともとは農村だったが、全国各地から訪れる患者のために宿屋を営み、後に職業化して屋号を持つようになった。
上須恵では「肥後屋」「唐津屋」「日田屋」など地名にちなむ屋号、「桝屋」「焼酎屋」など生業に関する屋号が今も残っている。
後に、製薬・売薬業を営む家も生まれた。
しかし、明治末に田原眼科が移転すると、眼病人宿も衰退し、現在では当時の面影を残すものはごくわずかとなっている。
須恵の目薬「正明膏」高場順世が考案したとされる目薬「正明膏(しょうめいこう)」は、須恵の目薬として昭和20年代まで盛んに作られた。
紅絹に包まれ、蛤に包まれた目薬は、須恵町以外でも広く使われた。
大正時代の正明膏の調合を基に復元した近年の研究成果によると、正明膏が抗菌作用、ドライアイに効果があることが明らかになっており、その効能が実証された。