この慰霊塔で戦没者のご冥福をお祈りしました。
旧海軍司令部壕の見学後に、この慰霊塔で戦没者のご冥福をお祈りしました。
すぐ近くに展望台があり、市街を見渡せます。
この碑文の揮毫は野村海軍大将のもの。
第二次近衛内閣の駐米大使としてあまりにも有名です。
野村は旧紀州藩士の子弟として生まれ、旧和歌山中学(現桐蔭高校)から海軍兵学校に。
軍令部次長や学習院院長を務め、戦後は同郷の松下幸之助から傘下の日本ビクター社長職を乞われ就任、その後公職追放が解かれると吉田茂首相らの要請で海上自衛隊の前身・海上警備隊の創設に関わった。
この後、和歌山選挙区から参議院議員に2期当選。
戦前も戦中も戦後もまた、日本海軍と共にあった野村吉三郎の揮毫なのです。
地下の防空壕は暑くもなく涼し過ぎず見て回れたよ!幕僚室は生々しい痕跡でした。
旧海軍司令部壕の見学後に、この慰霊塔で戦没者のご冥福をお祈りしました。
すぐ近くに展望台があり、市街を見渡せます。
ひめゆりの塔以上の何かを感じました。
世界平和について本当に戦争が二度と起こらないことを祈るように思います。
ひめゆりの塔もそうでしたが、戦争の悲惨さ・平和の大切さを肌で感じられました。
是非訪れて頂きたいです。
1945年6月6日『沖縄縣民斯(か)ク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』大本営海軍次官宛、海軍少将太田実打電1945年6月13日海軍少将太田実 海軍壕内にて自決(自爆)(享年54、中将昇進)1945年6月23日(沖縄慰霊の日) 陸軍中将牛島満 摩文仁の丘にて自決(切腹)(享年57、大将昇進、組織的戦闘終了)
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名前 |
海軍戦没者慰霊之塔 |
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ジャンル |
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電話番号 |
098-850-4055 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 8:00~19:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.4 |
おきなわの、豊見城とみぐすくの、小禄の、大切なところです!平和を考えることとか、大切にしていきたいです!