グラバー園内にある洋風建築の一つ。
グラバー園内にある洋風建築の一つ。
奥にあるオルト邸に比べると若干規模は小さいが、明るい雰囲気に溢れ、当時の富裕層の生活を感じることができる場所。
グラバー商会に勤め、ホーム・リンガー商会を設立したフレデリック・リンガーの旧邸。
明治から昭和にかけて住んでいた。
石造りの洋風住宅で重厚な中に優美さが漂っている。
リンガー氏が行った事業は数知れず、中国茶の熟練検査官、製茶業、製粉業、石油備蓄、発電、貿易事業、各国商社代理業務、ナガサキプレス刊行、捕鯨業、トロール漁業、上水道敷設、北欧国などの名誉領事、長崎の国際交流などなど。
1869 年(明治2年)の建築で、フレデリック・リンガー(F. Ringer 1838~1907)が1869年以降昭和に至るまで住んでいた住宅です。
木骨なんですが石造りの為、見た目重厚に感じます。
見学される際はこの重厚感を感じて欲しいです。
ボランティアガイドさんの説明によると・・・、長崎のとんかつ屋が長崎ちゃんぽんの店を出店した際、リンガー氏を尊敬する社長が命名した店名が『リンガーハット』なんだそうな。
そして『ハット』は帽子じゃなくて小屋なんだそうです。
リンガーハットはリンガーの小屋、リンガー・ヒュッテなんですね、なんていうマメ知識も頂きました。
フレデリック・リンガー(1838〜1907)はイングランド出身で、急成長していたグラバー商会で製茶と輸出の監督として勤めました。
その後、明治元年に「ホーム・リンガー商会」を設立。
製茶、製粉、捕鯨を含めた漁業、ガス、電気、英字新聞社、各国商社代理業などを幅広い事業を展開しました。
イギリス人技師を派遣、近代的な水道の設置にも尽力しました。
又、ホテル業では「ナガサキホテル」も開業し、当時は東洋一と言われました。
庭の薔薇が綺麗で海との調和が素晴らしかったです。
旧リンガー住宅は、グラバー園の旧オルト住宅の北側にある洋館です。
イギリス人のフレデリック・リンガーは、はじめはグラバー商会で働いていました。
1868年、29歳の時にイギリス人のホームとホーム・リンガー商会を設立し、1940年の閉鎖までの約70年間、外国貿易や商社代理店、お茶の加工、ガス等幅広い事業に従事し、長崎の産業や経済に大きな功績を遺しました。
木造で外壁は石造、平屋建てで屋根は桟瓦葺きで、3面に角石の柱を配した吹き放ちのベランダを設けています。
正面中央が出入り口で、中廊下の左右に各部屋を配置しています。
玄関ホール南側の食堂と、北側の応接室の全面をベイウィンドとしており、長崎港を眺めることができます。
この建物は、1868年頃に建築されたと思われ、1874年にリンガーが取得し、1883年頃から自宅として使用しました。
グラバー園の中にある洋館。
保存状態もよく貴重な文化財。
チャンポンのリンガーハットとは関係ありません。
国指定重要文化財明治初期の建築で、ウラジオストックの花崗岩を土台に使った外壁石造の木造住宅だそうです。
イギリス人のフレデリック・リンガー宅。
綺麗な洋館でした。
1869年(明治2年)に建てられたイギリス人商人の邸宅です。
この建物に住んでいたリンガー氏は東洋一と言われたナガサキホテルの建設も行いました。
その縁で邸宅内にはナガサキホテルから寄贈されたテーブルウェアセットが展示されています。
また訪れた時は日本生まれのオランダ人でオペラ歌手である喜波貞子さんに関連する品物も展示されていました。
【国重要文化財】グラバー商会に勤め、ホーム・リンガー商会を設立したフレデリック・リンガーの旧邸。
明治初期に建てられ、三方をベランダで囲まれたバンガロー風の建物。
洋館だけでなく、ここからの眺めも素晴らしい。
建物内外とも綺麗。
さすがにチャンポンは売っていない。
景色が綺麗です。
大きな船がたくさん見れます。
中国人と高校生がいっぱいです。
武器商人リンガーさんの旧宅を観光資源化しました的な場所。
個人的には国内最古のアスファルト舗装というのが印象に残ったけど。
龍馬ともつながりが深い、T・リンガーの旧宅です。
床の痛みが進んでいます。
見学は お早めに。
重要文化財に指定されている。
名前 |
旧リンガー住宅 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000668.html |
評価 |
4.0 |
長崎港が綺麗に見える場所です。
当時の同じだったかと心を馳せてみました。