神功皇后の御腰掛け石がある。
外海の神浦(こうのうら)地区にある神社です。
祭神は神功皇后こと息長帯姫命。
神功皇后のお社らしく参道はまっすぐで、拝殿は夕日を背にする形で建っています。
皇后を祀る神社でありながら、宮地嶽神社や八幡神社と呼称しないのは何か理由が有るのだろうと思って訪れましたが、由緒書に拠るとなかなかの歴史があるお社のようです。
神功皇后が三韓征伐から帰途の折この地に立ち寄り、海岸の石に腰掛けられ「この浦は」と言われたことがここの地名「こうのうら」の由来だとか。
皇后はこの時、のちの応神天皇を宿した身重の身体であったはずで、水平線の彼方に夕日沈む海辺の石に座り疲れを癒やし、側に控える参謀の武内宿禰に「黒男、この浦の名は何ぞ?」と尋ねる光景が目に浮かぶようでほっこりしました。
九州各地には記紀神話に書かれていない、このような神功皇后のエピソードが色々残されていますね。
また遠征の帰路にこの土地に寄ったのは、もしかしたら西彼杵半島で産出する翡翠が目的でもあったのだろうかとも思ったのでした。
名前 |
神浦神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
神功皇后の御腰掛け石がある。