壱岐に行ったら一度は訪れたい場所!
北海道、東北、東京、中部、北陸、関西、中国、四国、九州の主要9大電力会社体制を築き、「電力王」「電力の鬼」と呼ばれた偉大な男が長崎の離島、壱岐出身だと誰が思うでしょうか!恥ずかしながら、私はここに来るまで何も知らず、「電力王?壱岐に初めて電気を引いた人?」くらいの認識でした。
ごめんなさい。
こちらの施設の方が親切で、非常にわかりやすく教えていただきました。
規模が大きいわけではありませんが、中身が充実した施設でしたので、ある程度時間に余裕を持って行かれるといいと思います。
しかしながら、ここまで凄い人は学校で教えるべきだと真剣に思います。
それほどの活躍をなさった方です。
なんで大河ドラマの主人公になってないのだろうか?と本気で不思議に思うくらいです。
以下、松永安左エ門をすごく簡単に。
くわしくはこちらの記念館にてお聞きください。
福沢諭吉の「学問のすすめ」に感銘を受け、14歳で壱岐を飛び出し慶応義塾へ入塾。
明治22年ですよ!今のように新幹線や飛行機がある時代じゃありません!福沢諭吉を慕いお供をし、直接学び、その教えが人生の基盤をつくったそうです。
その後、福岡に電車を走らせると、九州・四国・関西・中部へと電力を供給、その後も東京・東北まで事業を拡大、約100社を傘下に置きました。
このころから現代のような電力会社の体制にすることを提唱していたというのですから、その先見性には目を見張るものがあります。
戦時中は一時引退するものの、戦後、その優秀さから政府推薦で表舞台に戻るや、主要9大電力会社体制を築いたのです。
日本の発展のために約7割も電気料金を上げたため鬼と呼ばれましたが、その電力が戦後の高度成長期に日本の発展を支えることとなったのでした。
この程度ではとても書ききれないくらいの活躍を、その先見性の凄さから各分野で成し遂げておられます。
心より尊敬申し上げます。
日本の基礎を作り上げた偉人、壱岐に行ったら一度は訪れたい場所!業績と先見の明に圧倒されて写真撮るの忘れてしまった!
電力の鬼と呼ばれた松永安左エ門について知ることができる。
業績もさる事ながら、氏の矜持がカッコ良すぎて痺れる。
軍事政権からの大臣就任要請は拒否、所沢の豪華別荘をトーハクに寄付、叙勲受章拒否、遺産を子供に譲らない、葬式&戒名不要などなど。
知らなかった 明治~昭和の私が生まれる前に大活躍した経済界の偉人 建物も展示された写真も魅力的。
素晴らしい人物を 知らなかったなんてガイドもしてくださるので わかりやすくまた 行きたいと思っています❗ 壱岐市最強✨ 是非 壱岐に行ったら寄ってください‼️
壱岐市石田町出身の偉人、松永安左エ門に関する展示が豊富。
戦前の日本の電力会を牛耳り、電気料金の7割値上げを表明したため、電力の鬼と呼ばれていますが、日本の経済界にとってはなくなてならない人物です。
ここは茶人でもあった松永の人間性がひしひしと伝わってくる博物館です。
電力の鬼と呼ばれた松永氏。
壱岐ならずとも日本の今の経済の礎を作った1人といえる。
あまり足を運ぶ人が少ないようだが一見の価値あり。
壱岐出身の偉人松永安左衛門の記念館館長さんのお話を聴くのも楽しいです。
壱岐の人も島外の人も訪れてほしい場所です。
とてつもなく凄い人ですね。
今の世の中に居てほしい人物と感じました。
丁寧な説明をして頂きました。
多くの日本人が知らない偉人です。
壱岐島の偉人、勉強になりました。
説明を聞いてまわったらすごく面白かった。
すごい方とわかった。
壱岐には今の日本の、成り立ちに欠かせない人物や、史跡がたくさんありますこの松永安左ヱ門さんも電力会社などの創立、日本の経済の発展に尽くされた方です記念館では館員の方がとても丁寧に話をして下さり、とても印象に残りました日本人として、ここは絶対行くべきです。
凄い人だとは知りませんでした。
小田原にもあって見に行ったことがあります。
同一人物とは知りませんでした(恥)(^^ゞ
説明して頂く方が、わかり易く丁寧で、熱く大変感動です。
鉄道の無い壱岐で電車が保存されているとは思いませんでした。
電力の民営化にかけた情熱。
電力の鬼すごい人です。
近衛文麿が総理大臣になった時のコメントが思い出されました。
電力の民営化にかけた情熱。
電力の鬼 すごい人です。
近衛文麿が総理大臣になった時のコメントが思い出されました。
定村館長さんのガイド(説明)を聞くと、松永翁の偉大さをいっそう詳しく知ることができます。
電力の鬼と呼ばれた昭和の電力王。
経営者の方は必ず訪れるべき場所。
松永翁の先見の明に感動するはず。
「日本の電力王」、「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門。
安左エ門は明治、大正、昭和と三時代にわたり日本の電力の普及と振興に尽力し、日本尾産業発展の基礎を築いたとして高く評価されている人物です。
松永記念館は安左エ門の生家に1971年(昭和46年)に建設され、明治・大正・昭和を生き抜いた安左エ門の様々な愛用品や所持品、文書、遺品などが展示されています。
記念館外には安左エ門が明治42(1909)年に設立した福岡市電の電車も展示されています。
また、長崎平和祈念像を制作した彫刻家・北村西望による松永安左エ門像が置かれています。
松永安左ェ門翁の生家は明治の28年頃まで造り酒屋で、回船問屋を営む商家でした。
慶応大学にすすんだ松永は、父の死、慶応大学中退、実家の家業を弟にゆだね、慶応復学後も二度目の中退、日本銀行就職も翌年には退職し、福松商会設立、石炭販売業で成功。
その後、電力業界に全身を注ぎ、「電気はすべての企業の源である」という信念を貫き、日本が第二次世界大戦の敗戦のどん底にあえぐ中、当時の政党や財界から総反対を受け、大衆から鬼と罵られながらも「電力の回復なしでは日本の将来はない」との強い信念で、96年の生涯を電力エネルギー開発育成に捧げました。
現在、石田町ふるさと資料館も併設。
2007年には秘蔵写真の展示もはじまりました。
わしは壱岐がご生地とは知らなんだが、このお人は天才肌じゃわ。
福沢諭吉とともに慶應を代表するような偉人ですわい。
名前 |
松永安左エ門記念館 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0920-44-6688 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

職員の方がしっかり説明してくださいます。
「写真撮りましょうか?」と気さくに声をかけてもくださいます。
入館料100円でいいのかな?と思うくらい丁寧に説明していただけました。