名前 |
竹田黙雷 生家 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
竹田黙雷は臨済宗建仁寺派第4代管長です。
平戸藩士竹田克治の四男として現在の勝本町西戸触に安政元年(1854)に誕生しています。
7歳で石田町の太陽庵で出家。
15歳の時福岡へ渡り崇福寺蘭陵や黒田藩儒亀井南冥、秋月藩儒近藤木軒に学びます。
その後20年にわたり京都の妙心寺越溪、岐阜の正眼寺泰龍、京都の大徳寺儀山、建仁寺俊厓、高台寺友雲、平戸の雄香寺釣叟、久留米の梅林寺三生などの高僧を務め。
明治13年、臨済宗大徳寺派から建仁寺派へ転じ黙雷と号しました。
その後明治25年建仁寺管長となります。
39年間の管長在任中に僧俗約4000人の弟子が集まり、建長寺管長菅原時保など12人の法嗣(はつす)を育て5人の僧に三生老師の代理として印可を与えました。
異色の弟子として伊藤博文、河野広中、鈴木大拙、清沢満之、新島八重子などがいます。
昭和5年入寂。
77歳。