壱岐で一番格式の高い神社になります⛩。
壱岐の七社のうちの一社。
聖母とは神功皇后のことだそうです。
宮司様が本当に素敵な方でした。
御朱印を待っている間神社を案内してくださり、神殿の中を見学させていただいたり貴重な神具を触らせていただいたり(お能の面を臆面もなく被った)、本当に貴重な体験をさせていただきました。
一生ものの思い出になりました。
ありがとうございました。
ご説明いただく機会がなかったら、手水舎がパラオ共和国から贈られた本物のアコヤ貝で出来ていることも、表門が加藤清正寄進なことも、聖母宮の揮毫が江戸時代の7歳の子供が書いたことも知らないままでした。
そして、最奥の長崎県で一番古い木製で麒麟や龍がたくさんいる色鮮やかな神殿は圧巻過ぎて…
壱岐で巡拝した10社の内で、最高のパワースポットでした❗たまたま宮司さんに本殿内部までご案内いただき、たくさん学ぶことができました。
境内の空気もとても良くて、長居したくなります。
神功皇后フリークには、マストなお社です。
とても親切な宮司さんが本殿の中まで案内をしてくれました。
社殿内部も撮影自由なのが驚きです。
御朱印も直書きで受領出来ました。
神功皇后ファンは必ず参拝して欲しい神社です。
遷宮していない為、当時の状態で保存されているものもあります。
タイミングが合えば宮司さんが色々歴史をお話してくださいます。
以前、運良く宮司さんに内部のきらびやかな装飾を見せてもらったことがあります。
素晴らしいです。
宮司さんの奥様が声をかけて下さり、建物の中で参拝させて頂きました。
親切にいろいろと説明してもらいありがとうございました。
お参りしていると宮司さんが現れ、本殿まで案内していただき、観せて頂きました。
翌日、住吉神社で神楽を舞うとご案内頂き観る事ができました。
とても優しくて親切な宮司さんでした。
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと。
神功皇后)と足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと。
仲哀天皇)と、上筒男尊(うわつつのおのみこと)、仲筒男尊(なかつつのおのみこと)、底筒男尊(そこつつのおのみこと)の住吉三神(住吉大神)を祭神とする壱岐の二ノ宮です。
歴史は古く、1,300年は超えていたかと思います。
また、御手水のシャコガイの大きさは日本最大級かと。
これも必見!また、神功皇后の三韓征伐に因む神社で、征伐に勝利したことから勝負の神として、そして安産の神でもあります。
厄払いのお参りはここでさせていただきました。
宮司さんの人柄もよく、とても素晴らしい神社です。
御朱印いただくことが可能ですので、壱岐に行くときはぜひ御朱印帳を!
壱岐で一番格式の高い神社になります⛩。
神功皇后三韓征討にまつわる行宮の地で皇后を祀るこの神社の西門は加藤清正が文禄慶長の役で寄進したものになります。
江戸時代には朽ちた柱など改修がなされ加藤家の家紋 蛇の目が取り外されました。
小さい門ですが構造は複雑精緻な宮作りです。
手水舎は大きなシャコ貝でパラオ🇵🇼国からの寄進になるそうです。
当日は子供のお宮参り行事が執り行われていた。
壱岐国の二宮で、延喜式にも名神大社として記載される神社のようです。
祭神は、息長足姫尊、足仲彦尊、住吉の大神です。
息長足姫尊とは漢風諡号でいう神功皇后のことで、三韓征伐に出生する前に勝本の湾で風待ちをしたそうです。
そこで朝鮮に渡る良い風が吹いたことから風早という地名なり、その風の基点となったから風本となり、三韓征伐の勝利し凱旋した際に勝本という名になったとのことでした。
この聖母宮は風待ちをした際に建てられた行宮の跡に建てられた神社です。
足仲彦尊とは仲哀天皇ですが、神の意向であった三韓征伐に疑いをかけたため、死を迎えます。
ですので、勝本に逗留したのは、息長足姫尊とその重臣武内宿禰(住吉大神と同一の説もある)の2柱で、仲哀天皇は壱岐には来ていません。
八幡系の神社だと、誉田別尊(応神天皇)を祀ることが多いので、聖母宮は珍しいと思います。
この神社には加藤清正や鍋島直茂が石垣や門を寄進しており、史跡としてもすごい場所ということが言えます。
神職の方がとても丁寧に由来を説明してくださったり本殿を見せてくださったりしてとても勉強になりました。
ありがたいことです。
お参りの後、声をかけられ、勝本DTIでGoogle検索してと言われ表示したページを見ながら勝本と壱岐の歴史など説明をして下さった元宮司さん。
教えていただいた古墳にその後向かいました。
今は甥っ子さんが宮司を務めていらっしゃるそうです。
旅とは人との出会いですね〜。
聖母宮は一番大事な場所とおっしゃったのが印象的です。
御朱印お願いしたら、宮司さんが、案内説明してくれました。
理解が深まりましたね。
1300年以上の歴史あって、香椎宮より、古いそうです。
加藤清正と鍋島の殿様が、建てた門あります。
近くに住んでいる祖先の方に色々な説明をしていただきました。
壱岐二ノ宮です新羅の遠征に立ち寄った神宮皇后を、聖母と称えられています。
秀吉の朝鮮出兵ゆかりの神社。
ここで、おみくじをひいたら凶、事務所に持っていったら。
お守りをもらいました。
凶をひい方は、もれなくお守りをくれます。
周囲は港町である。
巨大な貝の手水鉢にびっくり。
神功皇后由来の歴史・神話的に結構重要な地点であったらしい。
あまり資料となるものがないのが残念。
あと、神社の規模にしてはなぜか境内社がとても多い。
伺ったのは、もう1年前になりますが、ここは神功皇后と三韓征伐にゆかりの深い神社です。
歴史的にも重要な神社ではないかと思います。
壱岐に行くなら、ここには是非とも行ってみたかったので行けて良かったです。
神社自体は小さくてコンパクトでしたが、行く前に電話で確認を取っていたので、宮司さんが他の神社の祭りの手伝いに参加してましたが、奥様に待っていてもらえて御朱印を戴く事が出来ました。
書いていただいた後に大変に貴重な拝殿の中を見せていただきました。
その節は、ありがとうございました。
おいおい、壱岐島FBページは最近グルメ情報だけかよ!!笑。
と思っているそこのあなた! 久々の神社仏閣担当の出番です。
あと3日でお正月ですね。
壱岐のお正月と言えば七社詣りです。
これは外せない伝統です。
壱岐の方でも適当に7つ神社を回ればいいんだろうと思ってる方がいらっしゃいますが、壱岐七社詣りでまわる神社はきちんと決まっています。
□本宮八幡神社 勝本町本宮西触□聖母宮 勝本町勝本浦554 [TEL 42-0914]□箱崎八幡神社 芦辺町箱崎釘ノ尾触□国片主神社 芦辺町国分東触□白沙八幡神社 石田町筒城仲触□興神社 芦辺町湯岳興触□住吉神社 芦辺町住吉東触470 [TEL 45-3002]が七社です。
そしてわすれてはいけないのはこの七社に自分の住んでいる地域の氏神様にお参りすること。
それでお正月の壱岐七社参りが完結します。
ぜひ回ったことのない方は今年のお正月にチャレンジしてみてください。
写真は勝本の聖母宮さんです。
レア情報としては最近拝殿のつい立が新しくなりました。
また住吉神社さんの拝殿に木彫りの狛犬が奉納されました。
2014.12.28
勝本浦の氏神である聖母宮の例大祭で、毎年10月10日から14日にかけて行われる。
初日の十日(とおか)祭りでは、2台の御輿(みこし)が漁船で港内を3周し、13日まで対岸のお旅所(たびしょ)(御仮(おかり)殿(ど))に滞在され、一般参拝がある。
14日には、祭り行事の中で最も勇壮で、海の男らしい御幸(みゆき)船(ぶね)と呼ばれる舟(ふな)グロ競漕が行われ、舟グロの到着とともに御輿はお旅所より本殿に帰られる。
翌15日は勝本浦の漁民の大漁と海上安全を祈願した「勝本港(みなと)まつり」が行われ、漁船の海上パレードや仮装行列で勝本浦は祭一色となる。
村社 聖母(しょうもう)神社。
聖母宮(しょうもうぐう)とお言われます。
神功(じんぐう)皇后を祭った聖母宮は、勝本の総鎮守でもあります。
奈良時代初期に創建されたと言われています。
門は文禄の役の時に加藤清正が寄進したもので、のどかな表情の牛の石像は名工山内利兵衛の作です。
神社所蔵の茶壺は「天正20年」(1592)銘の古唐津焼きで、口は欠けていますが学術研究上大変貴重なものです。
秋には例祭カザモト祭が行われます。
聖母宮は、古くは「香椎宮(かしいぐう)」と称し、古来より筑前(福岡市)の香椎宮との繋がりが深く、筑前香椎宮の編年記には「詔テ神鏡ヲ附シ玉フ。
東ハ鴨山、西ハ壱岐、南ハ住吉、北ハ尾呂。
コレヲ四限トセリ。
」と、香椎廟の四至のことが記されているそうです。
壱岐七社の一つ。
また、壱岐国式内社二十四座のひとつ中津神社の論社ともされています。
鳥居は江戸期石造肥前型鳥居です。
『壱岐名勝図誌』によると、仲哀天皇の九年神功皇后は肥前唐津の神集島で三韓出兵の勝利を祈願し、土器崎より壱岐に向けて三、二七〇艘の軍船を出発させた。
この時、船が進むのにつごうの良い東風が吹きはじめた土器崎の地を風本と名づけ東風が吹きゆく壱岐の方向を風早と名づけた。
壱岐すなわち風早の島についた皇后は風まちをして対馬の鰐津に向けて出帆した地を風本と名づけ、三韓からの帰りに再び立ち寄られ出兵の勝利を祝い勝本を改められたという。
皇后は、出兵の往来にさいし行宮を勝本に建てられたが、御殿はその後放置されてしまった。
しかし毎夜海中から光る物があがってくるという出来事が続いたので里人は鏡を御殿に納めて神功皇后を神としてしまつったのがこの神社であると伝う。
また、一説には異敵の首一〇一、五〇〇を持ち帰った皇后は、風本の浜に穴に掘って埋められ、九町八反の築地を一夜で築きその上に宝殿をつくり、聖母の社を建てられたとある。
文化財 昭和四十七年に長崎県指定有形文化財とされた茶壺が有名 壺の銅部に『進入、日本いきしま、風本宮、聖母大菩薩、御神物ちやいれ、是ヲ心サス、喜斉、百良内村生、宗靏沙門(花押)天正廿年 敬白』の銘がある。
その他に数多くの文化財が伝えられているが神社の西門と南門は豊臣秀吉の朝鮮出兵の折りに、加藤清正と鍋島直茂によって造営寄進されたと伝えている。
この西門(正門)の前方には、神功皇后の御乗馬の足跡がのこるという馬蹄石がある。
(境内案内板より)祭 神:息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)【神功皇后】、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)【仲哀天皇】、誉田別尊(ほむだわけのみこと)【応神天皇】、上筒男命、仲筒男命、底筒男命配祀:天照皇大神(神明神社合祀により)、玉垂神(たまたれのかみ) 【高良玉垂神】、烏賊津連(いかつのむらじ) 【伊香津臣命】、真根子連 (まねこのむらじ) 【壱岐眞根子臣】祭典日 :旧暦1月17日 祈漁祭 大神楽、10月13日 宵祭 大神楽、10月14日 例大祭 神幸・大神楽、10月30日 神迎祭 大神楽。
とにかく落ち着く、安らぐ。
名前 |
聖母宮 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0920-42-0914 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
5年前に参拝した時は祭りの準備でバタバタされていたのですが今回は静かな雰囲気の中、宮司様にご案内して頂きました。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際この聖母宮を拠点とした事や神社の歴史をお話しして下さいました。
皆様、是非一度は足を運ばれる事をおすすめします💚☺️