気が付かない間に通り過ぎてしまいます。
旧土佐高知藩山内家下屋敷跡 / / .
この広大な敷地は、今の浜川中学校を中心とした東大井三丁目18番から28番にかけてと、東大井二丁目の13番の一部および22番付近にあたるそうです。
土佐藩下屋敷は立会川から浜川中学校辺り一帯にあったそうです。
現在は、浜川中学校脇に案内板があるだけです。
説明板があるのみです。
気が付かない間に通り過ぎてしまいます。
中学校の校庭の道路沿いに看板が建っています。
碑がありますが、表通りからは分かりにくいです。
ここに下屋敷あるので近くに坂本龍馬像があるみたいです。
☆浜川砲台復元 完成披露記念式典2015年11月1日(日)浜川砲台復元 完成披露記念式典が、新浜川公園、東大井2-26-18で行われました。
現在の浜川中学校、東大井3-18-34を中心とした地域は、かつて土佐国高知藩の下屋敷があり、立会川河口左岸には、ペリー再来航後の安政初年に砲台が設置されました。
若き日の坂本龍馬が、警護のために立会川河口まで往来していたとも言われます。
2010年北浜川児童遊園、東大井2-25-22に「二十歳の龍馬像」が建てられました。
これまで、この龍馬像とともに、浜川ポンプ場近くにある「浜川砲台跡」が、区内の史跡・文化財めぐりのスポットとして親しまれてきましたが、今回新たに、新浜川公園内に浜川砲台を復元しました。
この砲台は「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」を原寸大、全長 3m、車輪の直径 1.8mで再現したものです。
品川龍馬会のメンバーを中心に、2015年年1月に浜川砲台復元委員会が発足し、3月から地元商店街に募金缶を設置するなどして資金を集め、砲台復元を実現しました。
式典では、浜川中学校の吹奏楽部による演奏のなか除幕式が行われ、浜川砲台を披露しました。
同委員会の浦山会長は、「坂本龍馬の生誕180年にあたる記念すべき年に、皆さんの力が結集して、浜川砲台を復元させることができました」と感謝の言葉を述べ、「龍馬はこの場所で黒船を見て、文明の差を痛切に感じたのではないでしょうか。
広い視野で世界を見ていた龍馬の志を、砲台を通じて次の世代にも受け継いでいきたい」と話しました。
また、濱野区長は、「龍馬に追いつけるように、私たちも走りつづけたい」と思いを話しました。
名前 |
旧土佐高知藩山内家下屋敷跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
03-3777-1111 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
2.8 |
土佐高知藩山内家の下屋敷跡松平慶永、島津斉彬、伊達宗城らとともに「幕末の四賢侯」と称された山内容堂は安政の大獄で隠居・謹慎を命ぜられ蟄居したのがこの下屋敷。