長岡の石塔群の特徴
名前 |
長岡の石塔群 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
この石塔群は、文政10(1827)年にここ長岡村に建立された正福寺境内に建てられていましたが、明治維新(1868年)により廃寺となり埋もれていた石塔を石仏保存会の手で当地に安置保存、『長岡の石塔群 8基』として四街道市の有形文化財(建造物・石造)に指定されます。
<長岡の石塔群>・子安塔(子安観音像):文化8(1811)年/有形文化財・十九夜塔(如意輪観音像):文政6(1823)年/有形文化財・十九夜塔(聖観音立像):寛保3(1743)年/有形文化財・地蔵菩薩(地蔵菩薩立像):享保3(1716)年/有形文化財・秩父三十四番供養塔(聖観音立像):文政2(1849)年/有形文化財・秩父三十四番供養塔(信州善光寺如来):明治8(1875)年・子安塔(子安観音像):安政4(1857)年/有形文化財・十九夜塔(如意輪観音像):文久3(1863)年/有形文化財・秩父三十四番供養塔:安政6(1859)年/有形文化財・供養塔:安政6(1859)年・六地蔵:法印地蔵像(畜生道)/檀陀地蔵像(地獄道)/法珠地蔵像(餓鬼道)/日光地蔵像(天道)/持地地蔵像(阿修羅道)/除蓋障地蔵像(人間道)廃寺となった正福寺は、不動明王を御本尊とする真言宗の寺院で、山号を菩提山、院号を弘覚院と号する金剛寺(物井地区字御山)の末寺、香取神社(四街道市長岡)の別当寺とされます。
正福寺跡と六崎組十善講60番と道祖神のセットで参詣しました。