荏原最大の古墳というだけあって大きい。
多摩川台公園として整備されていますが、古くは国分寺崖線上の古墳群だった場所となります。
南北に広く広がっており、かなりの規模のものと分かります。
北側には展示館が無料で公開されているので、学びにも良さそうです。
多摩川台公園の敷地内にある古墳です。
4世紀前半の前方後円墳で、後方部はややばち型をしている比較的古い形の古墳です。
丘陵部はしっかり持ち上がっていますが、敷地内には保護のため侵入ができず、柵の外から眺めるだけになります。
近くの資料館での展示がとても参考になりますので、必ず立ち寄るべきだと思います。
かめのこやま古墳と読む。
多摩川台古墳群に隣接する。
かなり大きめの前方後円墳。
墳丘には入れない。
この多摩川台公園の中で、一番大きい古墳で、見応えありましたが、木や林が、多くて余り分からない位でした。
国史跡の古墳で、東京都を代表する前方後円墳だよね❗
看板で詳しい説明が書かれてました。
古墳展示室ても解説されてます。
かめのこやま、と呼んでたのですが、亀甲山が訛ったのでしょうか。
桜の名所で、小さい頃は毎年ここに桜を見に来て鮎焼きを食べにきていました。
今は焼き立ての鮎焼きを食べられるお店もすっかり減ってしまいましたが、相変わらず桜は綺麗です。
良いお散歩コースになります。
荏原最大の古墳というだけあって大きい。
フェンスがあり、中には入れない。
昭和初期健之の標碑があった。
大田区の誇る巨大前方後円墳。
だがもう少し整備して、、、美しい形も分からない。
川崎から、大田区の学校に、半年通って、いたころ、よく、登り、多摩川を眺めていた。
よい思い出!
田園調布古墳群の大型前方後円墳。
「亀甲山」の古墳名は、横から見た墳形がカメに擬されたことに由来する。
これまでに後円部墳丘の南端が浄水場建設に伴い削平されているほかには墳丘は良好に遺存し、考古学的には大田区教育委員会による測量調査が実施されているが、発掘調査は実施されていない。
墳形は前方後円形で、前方部を北西方に向けて宝萊山古墳と向き合う。
主体部の埋葬施設は未調査のため明らかではない。
築造時期は古墳時代中期の4世紀末葉-5世紀初頭頃(または古墳時代前期の4世紀後半頃)と推定され、田園調布古墳群では宝萊山古墳に次ぐ時期の首長墓に位置づけられる。
古墳域は1928年に国の史跡に指定されている。
現在の一帯は多摩川台公園として史跡整備がなされているが、本古墳は周囲を柵で囲まれて立ち入りが出来ない状態で保存されている。
博物館が読み物、展示品ともに良い。
奈良や飛鳥の古墳群に比してひけを取らない規模の前方後円墳。
ただし天皇ゆかりの物とは違いそれを誇示するようなことはなく、中へ入れるでもなく小高い林を外から眺めるようなだけの場所。
立ち入り禁止でフェンスに囲まれており、草木に覆われているので案内板が無ければ古墳とは気付かないでしょう。
地域=荏原(台)古墳群で最大の前方後円墳ということなので、できれば草木を刈り、周囲を一週できる歩道を付け、古墳を認識出来るような整備をしていただきたいと思います。
興味のある方は前方部北側にある「古墳展示室」に入ってみられることをお薦めします。
周辺古墳についての資料が展示されています。
googleマップの航空写真にしたら、かろうじて前方後円墳に見える。
100メートル超の巨大な前方後円墳だが、柵で囲まれており、手入れもされてない為、外から見ると荒れた山にしか見えない。
保存のためにはこれが一番なんだろうけど、見に行くと、ちょっと残念。
等々力渓谷近くの野毛大塚古墳みたいに、整備して歩き回れるようにしてくれると面白いんだけどな。
*\(^o^)/*到着翌日即演奏!笑。
かめのこやまこふん と読みます大正12年生まれの父が子どもの頃は、「うさぎ追いしかの山 小鮒釣りしかの川」だったという、亀甲山古墳と多摩川一日中 山(亀甲山古墳)と川を駆けずり回って遊んだそうです当時は今ある柵も何もなく、のどかな里山だったのでしょうか…多摩川左岸に沿って南北に長く連なる古墳群の中でも最大のものだそうです。
多摩川台公園内にある古墳展示室に、ぜひ一度行ってみてください。
名前 |
亀甲山古墳 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/rekishi/minemachi_denenchoufu/kamenokoyama_kofun.html |
評価 |
3.9 |
多摩川台公園の一部であるが、都内に現存する前方後円墳であり、東京三大古墳の一つでもある。