名前 |
上川井(小堀)城跡案内板 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
解説看板より上川井(小堀)城跡那須一族の右翼上川井氏の居城。
築城者は那須友家と伝えるが不詳。
源頼朝那須野狩りをした建久四(一一九三)年、川井氏森田・高瀬・熊田各氏と参加している。
永正十七(一五二〇)年八月、岩城と那須の戦いに参戦し、翌大永元年、宇都宮岩城連合軍、鳥山城を攻めるとき、この城に、上川井出雲守兄弟、同大膳掾父子・同下総掾・熊田氏等楯籠り奮戦する。
その時の城況「四囲二町。
後ハ大山篠生イ茂タルヲ、本ヨリ四五寸残シ刈セケレバ、苅場ハ大針ヲ打並ルガ如シ。
中々人馬通リ難シ。
大松ハ隙間も無ク、前ハ深田、弓手右手ハ逆茂木◯◯大水ヲひしト引渡シ、堀ヲ二重ニ堀テ壁ヲ塗リ、櫓ヲ揚ゲ、射手ヲす々まセ待かけタリ。
」とある。
三千余騎に取り国まれながら十有余日間防戦している。
川井氏は、その後の廣瀬縄釣戦(永禄十年)・烏山下境川原戦(天正十一年)・薄葉が原の戦(天正十三年)・乙幡城攻戦(同十三年)に参戦し勲功をあげている。
天正十八年、那須資晴、秀吉に改易され、佐良土に転居する。
上川井氏末裔の存亡もまた知らず。
南那須町教育委員会。