家から近かったのでよくここにきました。
いつか伺いたいと思ってはいたものの、車でたまたま通りかかったので2年越しの念願がかないました‼️境内の奥行きも広く本殿も格式の高さを感じられる神社でした‼️先月に行った時は梅の花が程よく咲いてました👀‼️👀‼️
よく手入れされており綺麗です。
玉の輿たまちゃんが祭られております。
何度か、初詣に行きました。
おしるこを配って頂き、美味しかったです。
元は海に浮かぶ弁財天。
ここから南は元々全て海である。
元禄時代に周辺エリアが埋め立てられ、東京湾を臨む景勝地となっていたが1791年の津波で壊滅的な被害を出し、幕府は居住禁止地区とします。
そのとき立てた波除碑は先達の警告としても有名。
明治21年には根津遊郭が移転してきて吉原と並ぶ巨大遊郭、洲崎遊郭 が形成された。
弁天さまを祀られる綺麗な神社です🎵大きくはないけど、整った良い雰囲気が魅力です。
街の守護神社って場所。
歴史のある神社です。
近所で前を通って、何か呼ばれるかの様に立ち寄って来ました。
良い神社だと思いました。
木場駅から至近に位置する場所に鎮座する、歴史有る宇治神様。
1791年の高潮時にこの界隈一帯が襲われ、多数の犠牲者が出た旨の記録等が有ります。
いつのまにか玉ちゃんがいました。
小さな神社ですが、いつも綺麗にされてます。
厄祓いをして頂きましたが、丁寧に拝んでくれました。
お宮参りでお世話になりました。
祈祷中の撮影OKの珍しい神社さんです。
御朱印もその場で書いてくださいました。
コロナ禍のため地元でお宮参りができず、急きょご近所のこちらに伺ったところ、「いつでも、何時でも良いですよ」と。
来られない両親のためにカメラマンをお願いしていたのですが、敷地内はもちろん祈祷中の撮影も快諾してくださいました。
カメラマンさん曰く、珍しいそうです。
御朱印は本来は書き置きのようですが、お願いしたところ、その場で日付入りで書いてくださり、お宮参りの良い記念になりました。
初穂料は5,000円から、とのことでしたが、たまたまお釣りがなく10,000円お納めしたところ、とても立派なお食い初め用の食器をいただきました。
祈祷後、雨が降っていたのですが、外の靴が濡れないように神主さんが傘を置いてくれたり、温かさを感じました。
産まれ育った地域の神社が良かったなぁ、と一時は落ち込みましたが、家の近くにこのような雰囲気の良い神社があってうれしいです。
これからも都度お参りさせていただきたいと思います。
追記:先日、初詣に行った際は、御朱印は「書き置きのみ」とのことでした。
どうしても欲しい、という方は事前に直接確認した方が良いかもしれません。
正月二日に初詣確かに去年より人出は少ない本殿に参拝した後で、境内のお稲荷さん三社にもお詣りするのが、年始の恒例町内会?の方から疫病退散のお札も無料でいただけた早くコロナが終息しますように。
古き良き風情のある神社で鬱蒼とした木立に囲まれた雰囲気とは別の明るいイメージの神社です。
そしてすぐ近くの運河に架かる真赤な橋のそばに舟屋が有りお台場への屋形船が出ています。
すごく良い神社です。
社は小さいですが、とてもパワーを感じます。
隣の公園も落ち着きます。
300年前のからある神社さんです。
桜の季節にはとても綺麗です。
テレビドラマの撮影場所としてよく使われているようで、中が規制されそれで風情が楽しめない残念なことが結構頻繁にあるくらいです。
木場駅から徒歩3分。
こじんまりとした小さな神社。
玉の輿のたまちゃん、たまちゃんが可愛い。
富岡八幡宮を参拝後に、それ程、距離が離れてなかったので、歩きで訪れました。
木場駅からだと、すぐです。
川に掛かる、朱の新田橋を渡って、神社の目の前でした。
予習なしで訪れましたが、社紋から弁財天が祀られている事が分かりました。
やはり、富岡八幡宮の後なので、社殿も小さく感じてしまいましたが、御朱印いただけます。
つい、マスコットのたまちゃんが可愛くて絵馬も買ってしまいました。
通称『洲崎弁天』で、将軍綱吉公の生母桂昌院(お玉)の守本尊を祀ったことで玉の輿神社と呼ばれるようです。
弁天さまらしく狛犬の台座もピンク色です。
近くを流れる大横川に架かる参道には朱色の新田橋という下町風情な人道橋があります。
元禄時代にこの一帯の海岸が埋め立てられて「洲崎の原」と呼ばれたのがこの地の始まり。
その頃に、水神でもある弁天様も祀られた(江の島、竹生島、厳島と、みんな水際ですね)。
江戸文学や落語などで、一口に「洲崎の弁天様」と覚えていたのだが、明治の神仏分離で「洲崎神社」にされ、弁天様はどっかに行ってしまった。
ほんとに明治の神祇官は余計で愚かなことをしたものだ。
神社内の看板にもあるように、江戸時代には潮干狩りや、金持ちの遊山で賑わい、文人墨客も訪れる、風景のよい清遊の地だった。
明治になって(1888年)、「東京大学のそばにあっては、学生に悪影響がある」と、根津遊廓を洲崎弁天町に移したため、当地は一気に遊里になった。
つまり、東京の男たちが「生きた弁天様」に会いに来る場所となったのである。
いまは周囲を歩き回っても、当時の雰囲気はまるで感じられないが、そんなことも考えつつご参拝を。
こじんまりとしてスッキリと気持ちのいい神社です。
平久町の弁天様。
2018年は本祭。
祭神は、広島の厳島神社の祭神の一柱でもある海の女神イチキシマヒメです。
その昔、洲崎の遊郭の女性からも(良いお客様との)縁結びとして、信仰が篤かったそうですよ。
境内の桜は、戦後に睦会の方が植えたものだそうです。
銀杏の木は空襲で焼け残った芽が育ったものだと父から聞きました。
子供の頃は境内を遊び場にしており、今は引っ越して平久町を離れてしまいましたが、守って頂いていたんだと改めて感謝しております。
家から近かったのでよくここにきました。
イベントも充実していてとてもよいところです。
この土地には特色ある歴史があります。
震災や戦災、こうして津波を警告した碑もあります。
この碑では幕府がこの地より海側に人が住むことを禁じています。
そう言われても人々は土地にしがみついて暮らしてきたのです。
誰を責めることが出来るのでしょうか。
木場の鎮守様という感じで明るくきれいな境内でした。
ちょうど酉の市の準備中で境内の木々の紅葉が素晴らしかったです。
親しみやすい神社でした。
朝早かったですが御朱印も頂けました。
善くも悪くも地元民の神社ですネ‼️駐車場無し❗️
村社に列せられていたらしい。
鳥居の右横に波除の碑があります。
これは江戸時代末期の高潮でこの一帯が災害に見舞われこの碑より西側のたてものを幕府が買い取り次の被害が出ないようにしたらしいです。
その目印としての役目を果たしていました。
富岡八幡宮が波除八幡なので、不思議なつながりを感じて見てきました。
地域の信仰が、厚そうな氏神神社。
狛犬様が個性的で素敵です。
祖父の代から鳥居正面に住んでました。
現在ある境内の銀杏の木は、東京大空襲で焼けてしまった銀杏の木から出た芽が育ったものだと父から聞きました。
桜の季節には境内でお花見もできます。
地元では弁天様と呼ばれていて、子供の頃から今でも守っていただいている気がします。
引っ越してしまいましたが、近くへ寄ったときは必ず参拝します。
とてもいい神社です。
例大祭もあるので、もっとたくさんの方に知ってもらいたい。
真っ赤な鳥居に続く真っ赤な橋が印象的。
元は弁天さまというのも頷ける、可憐なたたずまいでした。
名前 |
木場洲﨑神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3644-1092 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
駅から徒歩5分以内で交通の便も良く、ゆっくりとお参りが出来ます。
たまちゃんというキャラクターがいて玉の輿が狙えるそうなので、興味のある方はぜひ。