名前 |
清心尼公の碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0198-62-1333 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
2021年5月11日に墓参しました。
第19代南部直栄(なおよし)は、自分の娘である俗名子子(ねね)を弟の第20代南部直政(なおまさ)に嫁がせました。
しかし、夫である直政は、慶長19年に越後高田城築城を指揮している最中に28歳で病没してしまいました。
この時、子子こと第21代清心尼には、跡取りが産まれていませんでした。
新田政広の嫡子直義(なおよし)を養子として迎い入れて、八戸南部氏を継がせました。
そして、この第22代南部直義が、八戸から遠野に転封して来るわけです。
清心尼は、難治の地と云われた阿曽沼氏の旧領地を直義を支えながら城下町を整備していったそうです。