「大分市:大分元町石仏」2012年に親子三世代の家...
大分元町上野丘台地の中腹、住宅地に在る平安時代後期の磨崖仏である。
1924年1月22日、国の史跡に指定されている。
大分南部には多くの磨崖仏が凝灰石に刻まれているが、ほぼ作成年代が平安時代〜鎌倉時代のもので、誰がなんのために作ったかは定かでないとの事!大分の大地は阿蘇溶結凝灰岩で出来た場所が多く、数万年前の阿蘇山大噴火によるものとされている。
溶結凝灰岩は侵食風化に弱く、大分の多くの磨崖仏は風化が激しい。
大変立派な仏像が市街地近くにあるとは思ってもみなかった。
仏様の顔が良かった。
臼杵石仏より良いかも。
荘厳な仏様があります。
景観良いです。
美しい薬師如来さまです。
素晴らしい仏像です。
こんな立派なものが住宅街にあるとは。
地域で大切にされてきた感じです。
大分県立芸術文化短期大学の下にある、平安時代後期に造られた石仏です。
風化が激しいところもありますが、薬師如来は迫力のあるとてもいい石仏だと思います。
また、近くには岩屋寺石仏や大臣塚古墳などがあります。
とても美しいお顔の薬師如来様に、とても静かな空間。
最高の癒し空間です。
こんな立派なものが住宅街にあるとは。
地域で大切にされてきた感じです。
地味な場所にありますが、すごくてびっくりしました。
一見の価値ありです。
大分市内の国指定史跡です。
阿蘇の溶結凝灰岩に彫られた平安時代後期の貴重な石仏です。
名前 |
大分元町石仏 |
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ジャンル |
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電話番号 |
097-537-5639 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
「大分市:大分元町石仏」2012年に親子三世代の家族旅行で立ち寄りました。
孫と一緒の祖父母の楽しそうな様子を見て、来てよかったと思った場所です。
上野丘台地東端の凝灰岩の崖に刻まれた石仏で、石薬師とも呼ばれています。
昭和9年に国指定史跡となり、県南の臼杵石仏と並ぶ大分県を代表する磨崖仏です。
伝説によれば敏達(びだつ)天皇の時代に百済から来朝した日羅の作と伝えられていますが、具体的な史実を背景にしたものではなく、初期仏教集団の地域的活動によるものと思われます。
木造瓦葺の覆堂の中、露出した溶結凝灰岩の岩肌に薬師如来像を中央に、左に多聞天立像(たもんてんりつぞう)をはさんで、その妻子とされる善膩師童子(ぜんにしどうじ)と吉祥天像が左右に、右に不動明王をはさんで左右に矜羯羅(こんがら)、制口迦(せいたか)の二童子が刻まれています。
薬師如来坐像は、近年の研究によれば、11世紀後半の造像で、この頃元町付近は「勝津留畠(がちがづるはた)」と呼ばれ、宇佐神宮領に組み込まれており、同宮の強大な後ろ立てによる造立と考えられています。
なお、堂外の向かって右側には、ほとんど摩滅風化した三尊形式の像が二組残されています。