大内義長公は、大内氏32代の当主で、大内氏の(事実上)最後の当主です。
大内義隆公が陶晴賢に討たれたのち、天文21年(1552年)豊後の大友宗麟の弟義長が大内氏の当主となります。
弘治元年(1555年)毛利元就は厳島で陶晴賢を破ると周防、長門へと侵攻します。
弘治3年(1557年)義長公は山口の高嶺に城を築き防戦しますが防ぎきれず、長門の勝山城に移ります。
勝山城に籠もって抗戦しますが敗れ、長府の長福寺(現功山寺)にて自刃します。
これにて大内氏は滅亡します。
義長公は、天文21年(1552年)フランシスコ・サビエルの弟子コメス・デ・トルレスに「教会建立許可の裁許状」を与えています。
このことにより、山口に日本で最初のキリスト教会ができました。
同年旧暦12月9日(西暦12月24日)賛美歌を歌ってクリスマスを祝い、クリスマスミサを行なったのが、日本のクリスマスの始まりといわれています。
名前 |
大内義長公の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
歴史に翻弄された大友家出自の大内義長の墓がここにある。