連れの希望で探して夕方に到着しました。
九州道高速八代出口から近く、川沿いの平地にあり、福岡県八女市の山中で探し回ったのと違い直ぐ見つかったので安心してしまい肝心の宝篋印塔の撮影を忘れもう一度行くかと言うとハッキリ懐良親王の陵墓という記述の看板説明書等が少なく、余計宝篋印塔の記述が大切なのですが尚近くに加藤清正公嫡男忠正公の墓所があります。
第96代後醍醐天皇皇子で、征西大将軍として九州に赴き活躍。
南朝方の全盛期を築いた方である。
後、征西大将軍職を辞し、筑後矢部で病気により薨去された。
その墓所については数か所伝えられているのは賢明なる読者諸氏もご存知であろう。
宮内庁はこの八代の地を治定している。
さらにこの治定を完全なものにしたのは大正5年に発見された親王御自筆銘の宝篋印塔が発見されたことでもあろう。
この宝篋印塔は親王御陵墓の傍らにひっそりと佇んでいる。
水無川の清流が参詣する人々の心を洗い流すようだ。
連れの希望で探して夕方に到着しました。
😅川沿いの入り口から入った御陵さまは、しっとりと雨が木々を洗ったあとで、雨上がりの湿気もサラッとしていておまいりしやすく、鳥の鳴き声が響いて雰囲気が良かったです。
😃
ホタル見れますょ。
後醍醐天皇の皇子、懐良(かねなが、又はかねよし)親王のお墓です。
南北朝時代に征西大将軍として九州で北朝方の軍と戦ってきた方なので九州にお墓があってもおかしくはないのですが、通行止めの道を避けたところ偶然にこちらのお墓に行き着いてそこが懐良親王御陵だと知ってびっくりしました。
墓所については諸説あるようですが、こちらのお墓は宮内庁による認定済みだそうです。
墓所はそれなりに広くて親王殿下の墓としても相応しいように思えました。
近くを流れる「水無川」は、ホタルの名所です。
水深が浅い川が近いので夏場は賑わいます。
宮内庁指定の多分熊本唯一の皇族の墓である後醍醐天皇皇子か懐良親王のお墓です。
妙見信仰の歴史で知られる八代は、南北朝の争いの歴史とも関わりが深く南朝を代表なさった兼良(かねなが・かねよし)親王はこの地に眠られています。
陵墓は今も宮内庁が管理する厳か(おごそか)な場所です。
南朝、北朝の秘話。
後醍醐天皇の皇子であられます。
近くに清流が流れ静かな場所です。
パワースポット❗
「かねよししんのう」、「かねながしんのう」 二通りの読み方があるそうです。
後醍醐天皇の皇子であった懐良親王は、延元元年(1336)征西大将軍に任命された。
この時期南朝方は、湊川敗戦のあと比叡山の行在所が尊氏兄弟の率いる東上軍の包囲下に総攻撃を受けて苦戦中であった。
親王の使命は「急いで鎮西に下向し、鎮西の宮方勢を催促して上洛しこの危急を救うこと」であった。
親王は当時8歳、五条頼元・中院義定ら一行十余人は九州下向の途につき、出発以来5年9ヶ月後(1342)南九州の南朝方に迎えられて薩摩に上陸、谷山城に九州最初の征西府を置いた。
そして、1347年肥後入国菊池に征西府を置き南朝方を率いて戦いを続け、正平13年(1358)11月に九州全土は親王の支配下になった。
しかし、その後、新九州探題今川軍との死闘が繰り広げられた。
親王は弘和3年(1383)3月27日に55歳で他界、この地に墓ができた。
明治11年(1873)4月25日懐良親王御墓と決定され、現在は宮内庁所管となっている。
御墓は樟・檜・杉など老樹茂る中にあり、西向で東西27.3m、南北20mの土居で囲まれた中に内玉垣があり、その中の小円墳が親王の御墓である。
昭和15年八代市郡有志、婦人会・青年団ら多数の奉仕と寄付金で御墓外苑がつくられた。
『ふるさと宮地』より。
住宅街から少し入った静かなところにあります。
いつも綺麗に掃除が行き届いていて、お墓の周辺に近付くと厳かな雰囲気に包まれます。
高貴な方のお墓なので施錠されている鍵もまた品があります。
入り口付近の柵に「宮内庁」と書かれた注意書きもあったので、もしかすると管理はそちらの方でされているのかもしれません。
征西将軍宮懐良親王の御墓。
臣聞三皇立極,五帝禪宗,惟中華之有主,豈夷狄而無君?乾坤浩蕩,非一主之獨權;宇宙寬洪,作諸邦以分守。
蓋天下者,乃天下之天下,非一人之天下也。
臣居遠弱之倭,褊小之國,城池不滿六十,封疆不足三千,尚存知足之心;陛下作中華之主,為萬乘之君,城池數千餘,封疆百萬里,猶有不足之心,常起滅絕之意。
夫天發殺機,移星換宿。
地發殺機,龍蛇走陸。
人發殺機,天地反覆。
昔堯、舜有德,四海來賓。
湯、武施仁,八方奉貢。
臣聞天朝有興戰之策,小邦亦有禦敵之圖。
論文有孔孟道德之文章,論武有孫吳韜略之兵法。
又聞陛下選股肱之將,起精銳之師,來侵臣境。
水澤之地,山海之洲,自有其備,豈肯跪途而奉之乎?順之未必其生,逆之未必其死。
相逢賀蘭山前,聊以博戲,臣何懼哉?倘君勝臣負,且滿上國之意;設臣勝君負,反作小邦之羞!自古講和為上,罷戰為強,免生靈之塗炭,拯黎庶之艱辛。
特遣使臣,敬叩丹陛,惟上國圖之。
名前 |
懐良親王墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
Googleでは好評みたいですが、何にもないっすよ?施錠されてて中には入れないし。