起伏などが城址だということを忍ばせる。
現在は印旛沼公園として整備されています。
駐車場は地元の休憩スポットでした。
かつては対岸の臼井城の支城として印旛沼を囲むように配置されていました。
豊田秀吉公の関東(小田原)征伐で落城し廃城。
今でも曲輪や空堀が豊富に残り、印旛沼対岸まで見渡すことができます。
展望台(師戸城があったところですが)眺望がいいです。
5月に行ったので印旛沼からの風が気持ち良かったです。
上杉謙信も攻め切れず退散したとかで凄いお城でした!
臼井城の支城とされる城。
印旛沼公園として整備されほぼ完存、土橋・くい違い虎口・土塁・空堀・横矢掛かりなど土の城の仕掛けを堪能できる要素が盛りだくさん!ここは中世城郭ファンにはぜひとも訪れていただきたいです(^^)
印旛沼公園内にあります。
駐車場や入園料もかかりません。
中世の城郭として大きな城です。
昭和47年に部分的に発掘調査を行い千葉県立印旛沼公園として整備されました。
地元の人は龍ヶ谷城(りゅうがやじょう)と呼んでいました。
保存状態がよく空堀と土塁が確認できます。
野球試合が出来るほどの広場や遊具もあるので、天気が良い日に是非!
落ち着いた公園となっており、起伏などが城址だということを忍ばせる。
名前 |
師戸城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
千葉氏一族の臼井氏の居城。
臼井城の支城として築かれた。
印旛沼対岸の臼井城とは渡しで連絡され、防衛に大きな役割を果たした。
今は印旛沼公園になり、遺構もよく保存されている。
広い千葉県の中でも屈指の素晴らしい城です。