また訪ねてみたくなり、今から10年以上前からの再訪...
大河ドラマで紹介されていたので、また訪ねてみたくなり、今から10年以上前からの再訪です。
私有地という事ですが城内が綺麗に整備されており、散策しやすいお城でした。
佐竹氏の歴史を堪能。
全て私有地なのに、道路標示もあり、復興門も作ってある。
空壕の外堀や内堀は結構深い。
曲輪跡も残っており、周りに高い山が無いので、さほど高くないが周りが見渡せる。
佐竹氏発祥の地、大規模ではない戦の防備には役立ったろうと思われる。
私有地を開放して見学させて頂き、恐悦至極。
常陸の雄:佐竹氏が本拠としていた城。
現在は畑地と墓地になっています。
古い城ゆえか堀などの遺構はそこそこ残るレベルでした。
城址北東には佐竹氏ゆかりの佐竹寺もあります。
佐竹氏の最初の居城跡です。
この地から佐竹氏の隆盛が始まったという歴史的な意味を感じさせられます。
高台にあるためか、良い眺望が楽しめました。
なお、今残されているのは壕・土塁が中心となりますが、大手門が造られているためか、雰囲気がでています。
なお、大手門は坂の途中から登ってすぐでしたが、駐車場がないので、下の駐車場から行くのが正解です。
平安時代の末期に始まり、さまざまな戦いや時代の変遷の中を生き抜き、現代まで続く息の長い源氏の名族「佐竹氏」の発祥の地です。
その間に有象無象の勢力がどれだけ興り滅びたか、想像もつきませんが、今も君臨し家を保っているのは「凄い」としか言いようがありません(現・秋田県知事の佐竹敬久氏は一族の出身)。
院政期の武将「八幡太郎」源義家の弟、新羅三郎義光の孫「昌義」が現在の常陸太田市稲木町(旧佐竹村)に土着し、この馬坂城に入ったのが始まり、と言うから古い話ですね。
二代目の隆義が、より広い敷地の確保できる常陸太田舞鶴城(現・太田小学校)に本拠地をうつしたので、馬坂城は一族の稲木氏の居城となっていました。
常陸の雄として佐竹氏はその後も長年繁栄を続けますが、19代義宣の時に致命的な判断ミスで先祖代々の所領を全て失ってしまいます。
関ヶ原の戦いで中立的立場をとったため徳川氏から睨まれ、また江戸の後背に敵味方定かでない大勢力を置いておく事の不気味さもあって、秋田・仙北に転封になったのです。
その時に、この馬坂城も廃城になったとされています。
さて、城としては戦国時代に多少の改修は受けているようですが、基本的には旧式な城郭です。
比高約20mの台地を空堀で三つに区画し、その中央を御城(本廓)としています。
虎口も食い違いにしたり桝形にするといった工夫は特に見られません。
そんな細事よりも広い空を見上げながら、佐竹氏を通り過ぎていった「悠久の時間」に想いを馳せるのが、この城の正しい鑑賞の仕方ではないかと・・・。
【駐車場】県道沿いに駐車スペースあり。
【雰囲気】各所に曲輪の表示があったり順路を示す看板があったりして親切だな〜と感じました。
道沿いには竹のガイドラインがあり、ルートからそれにくくなっています。
名前 |
馬坂城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
主郭近くは畑となっているがその他の堀等当時の地形がよく残っていた。