弘化谷古墳を散歩しよう!
弘化谷古墳の特徴
周壕を持つ二段築成の円墳で、訪れる価値大です。
清掃が行き届いた整備された古墳は散歩にも最適です。
近くの史料館で装飾模様を観賞できる利点があります。
自然に恵まれ散歩するのにいいから。
広川町にある国指定史跡の『弘化谷古墳』。
近くにある欠塚古墳から車で2分、同じく八女古墳群の一つです。
駐車場は西田商運(株)八女営業所から左に曲がったところと、県道86号線沿いの2ヶ所あります。
86号線沿いの駐車場にはタイルの案内看板があります。
案内板の現在地から見た弘化谷古墳が、見ての通りワクワクする大きな古墳です!弘化谷古墳は古墳時代後期、6世紀中ごろに築造されたと言われており、高さ7m、直径39m、周濠は55mにもなる2段構成の円墳で、八女古墳群では最大の規模を誇ります。
昭和45年に果樹園造成工事中に、発見された時には石室の手前の前壁から大破していたので、平成2年に整備復原されています。
階段がある方面から見ても圧巻です!!海外の史跡みたいですね^ ^周濠の周囲を見て回ると2段構成になってるのがよくわかります。
そのまま西南西に進むと石室の入口が見えてきます。
石室には入る事はできませんが、中は横穴式石室で、石室は長さ約4.5m、最大巾約4.1m、高さ約3.6mにもなり全体的に赤く塗られた石屋形奥壁に、状文や円文が赤・緑・黄色の3色で描かれています。
現在、石室内に入ることは出来ませんが、年2回(4月・11月)装飾壁画を一般公開されています。
古墳に登ると高さ7mもあるので見晴らしは格別!墓主が誰なのかはまだ分かってはいませんが、大型であることから筑紫君磐井本人の墓なのか?磐井の子になる葛子なのか?間違いなく筑紫君一族の墓であろうと推測されます。
この誰か分からない所が太古のロマンであり古墳の面白さですね〜。
石室のレプリカが、近くの広川町古墳公園資料館に展示してありますので気になる方は行ってみては!
古墳としては小さめです。
キレイに整備された古墳です。
古墳とわかりやすい古墳。
周壕を持つ二段構築の円墳で、装飾模様は近くの史料館で見ることが可能です。
墳丘頂上に登ることができ、八女市方向を眺めることができます。
2018年8月27日来訪。
周溝を持つ大型の円墳であるとともに装飾古墳である。
その装飾は広川町古墳公園資料館で見ることが出来る。
修復保存されているのは有難いのだが石室内を覗くことは年に一度の公開時だけである。
本年は11月13日(日)である。
ここは広い駐車場があるから良いぞ。
六世紀中頃に築造されたもので、広川町で見ることの出来る古墳としては終末期のものとなっている。
すぐ近くに石人山があるので一緒に見学を。
そうだそうだ欠塚も近いから一度に見学を。
名前 |
弘化谷古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.yame.fukuoka.jp/iwatoyama/onnseiannnai/sonotanoiseki_kofun/1510105505423.html |
評価 |
4.0 |
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墳丘直径約39m・高さ約7mの2段築成の円墳です古墳の周りには外提と呼ばれる土手がめぐり空濠があったと考えられます。
外提を含めた外径は約55mにもなる当時の姿を復元しています。
1970年果樹園造成中に偶然発見されたものです。
埋葬施設はやや胴張りのある横穴式石室で、片岩の割石が積み上げられ、内部には埋葬者を安置する石屋形が設置されています。
石室正面奥に作られた石屋形の内壁には壁画が描かれていました。
石屋形奥壁には、薄く赤を地塗りした上に濃い赤や石材の緑色で円文・同心円文・三角文・双脚輪状文が描かれ、靫(矢筒)は輪郭が線刻されています。
古墳発見時に石室の3分の1は破壊されてしまったのですが、後に復元整備され、保存施設が建てられ壁画が保護されています。
注目されるのは、文様の中に「双脚輪状文」です。
この文様は全国でも4例しか確認されていません。
肥後系の内部施設である石屋形と合わせて、本古墳の被葬者と肥後地方との強い関わりが考えられます。
弘化谷古墳が造営された時期は、石室が単室であるなどの特徴から、八女市の丸山塚古墳よりもやや先行する6世紀中頃と推定されます。
現在、隣接する石人山古墳と共に公園として整備されています。
石室は春と秋の年2回一般公開されます。
昭和53年(1978年)国の史跡に指定されています。
隣接する資料館には石室の複製が展示されています。