この遺跡は江戸時代に発見されました。
現在は、この場所に石棺があったということが分かるだけの更地です。
駐車スペースはないので、注意が必要。
この遺跡は江戸時代に発見されました。
発見当時の様子を記録した『柳園古器略考』(青柳種信著)には、甕棺の大きさは「深三尺餘、腹經二尺許」であり、高さが90センチメートル以上、胴の直径が60センチメートルほどもある巨大なもので、その巨大な甕棺が二つ、口を合わせて埋められていた(1号甕棺)と書かれています。
中からは銅鏡35面、銅鉾2本、勾玉1個、管玉1個、璧1枚が出土しています。
これらの出土品は現在ほとんど残されていませんが、わずかに銅鏡1面と銅剣1本が博多の聖福寺に伝えられおり、国の重要文化財に指定されています。
遺構はありませんが出土地を見てみたいという人にはおすすめ。
伊都国王の墓のようです。
青銅製武器やガラスなどといった豪華な副葬品が多数出土しました。
伊都国の王墓だから。
きれいに整備されていました。
高祖山→伊都国歴史博物館→三雲南小路遺跡→平原遺跡のルートの途中で寄りました。
平原遺跡などの墳墓は、まわりから少しだけ標高のある微高地に存在する事が多いようですが、この遺跡は平地にあるように思えました。
不思議です。
規模は大きくないようですが、副葬品がすごかったとのこと。
ますます、不思議です。
神話のロマンを感じられる場所。
隣地農家(?)の高垣が立派でした。
名前 |
三雲南小路遺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
092-332-2093 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.city.itoshima.lg.jp/s033/010/020/010/050/030/bunkazai3.html |
評価 |
3.8 |
小さめの空き地で草は狩り揃えてある感じではあった。
何かのついででないと来られないですね。