武内宿禰が不動岩に御剣を奉し祀った。
ここは、穴場と言っていいでしょう。
裏手には古墳もあります。
神功皇后ゆかりの神社⛩️駐車場がないので近くの道路に停めて参拝しました。
注連縄の形が独特なのが印象的でした(^_^)
神功皇后伝承地熊鷲討伐を終え田油津姫を追う際の行在所となり、武内宿禰が不動岩に御剣を奉し祀った。
古代神磐戸と呼ばれた当地には岩窟や不動岩があったそうだ。
御祭神菅原眷属神・高良玉垂命・住吉大神神域を保つ境内に足を踏み入れると上岩田注連ねり(人形じめ)と呼ばれる人形型の独特な注連縄が目につく。
社殿と猿田彦を含む境内の三つの岩に懸けられている。
祭神 菅原眷族神 高良玉垂命 住吉大神由緒書き 大昔、神功皇后が秋月の羽白熊鷲(はじろくまわし)を征伐せられ、次いで、筑後国山門県の田油津姫(たぶらつひめ)を滅ぼそうと、津古から舟にて得川(宝満川)を下られ、この神磐戸にお着きになった。
今の老松宮は当時の行在所の跡。
とても怖い雰囲気の神社です。
なぜか一の鳥居が崩壊しています。
名前 |
上岩田老松神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
11世紀の後三条天皇の時に菅原道真の両親を祀る老松神社になったようです。
後三条天皇は皇室の財政基盤の回復に努めた方で、藤原氏の荘園支配力が衰えてきたことと関係があるのかもしれません。
案内板を読むと神功皇后の行在所があった歴史ある場所です。
羽白熊鷲に「ハジロクマソ」とフリガナがあり、神功皇后が戦った相手が熊襲であることを明示しています。
近くを流れる宝満川が江戸時代の前までは得川といったことなども書いてあります。
ご祭神は菅原眷属神、高良玉垂命、住吉大神とありますが、この地が昔は神磐戸と言われ上岩田の地名の由来になったことからすると、元々は高良玉垂命を祀っていたと思われます。
また、境内神社に若宮八幡宮があり、その祭神は仁徳天皇と書かれており、仁徳天皇が高良玉垂命の子供であることを示しています。
日本書紀にも書かれている神功皇后の羽白熊鷹との激戦の基地に高良玉垂命が祀られていることは、仲足彦(仲哀)が熊襲との戦いで亡くなった後に、このお二人が夫婦となったことを暗示しているのかもしれません。
仁徳天皇の両親にゆかりのあるお社だと思われます。