何か、古そう、由緒ありそう。
令和2年2月9日参拝筑後三十三箇所観音霊場 第十一番札所御朱印あり本尊:聖観音菩薩宗派:天台宗御詠歌:ありがたき 誓いをききて みなびとの さそひをここに こふのふるてら天平十三年(741)聖武天皇の詔によって全国25ヶ所に建立された国分寺の一つ、筑後国分寺が移転、再興した寺院とされる。
寺内には明治二年(1869年)に神仏分離令に際し、高良山愛宕神社奥の院から移された有形民俗文化財の地蔵来迎図板碑がある。
筑後三十三霊場 十一番札所 天台宗聖観音菩薩。
癒し系ですね。
優しい感じがするお寺です。
歓喜天樣もいらっしゃいます。
裏口からはいってすぐのお地蔵樣のお顔が本当に優しくて、いつまでも手を合わせていたい気持ちになります。
元三大師を御本尊にされているので、悩んだ時は、ここで御神籤を引くと私はかなり当たってます。
住職さんも、穏やかなお地蔵さまのようなお顔をされています。
お寺は苦手なんですが、ここは大好きです🎵
1月3日の火渡り。
毎年いきます。
久留米市宮ノ陣の国分寺へ❗️駐車場は堤防から少し狭いけども入って止められます。
お参りして 御朱印をいただきました!
何か、古そう、由緒ありそう。
3つのお堂があるので、がん三大師と言うのだろうか?
国分寺さんの所へ母の17回忌をさせていただきました。
前回他所でやりましたがお経が5分くらいでしたが、国分寺さんは、40分以上お経を上げてもらいました.またお話しが感動的なお話を頂いきました。
ここで頼んで大変よかったと思いました。
現在は比叡山のながれを組む天台宗のお寺で、元三大師を祖とします。
奈良時代に建立された筑後国国分寺(国分町の現在の日吉神社にあった)が老廃していたものを、足利尊氏がこの地に1339年再建しました。
更にその後荒れたものを田中吉政が再々建されたと云われています。
ここには、県指定文化財の地蔵来迎板碑があります。
また懐良親王御親筆の観世音菩薩普門品の写経が納められています。
1月3日のがん三大師大祭での火渡りに行きました。
とても賑わいがあり良かったです。
國分寺の前身は、天平13年741聖武天皇の詔によって全国25ヶ所に建立された寺院の一つ。
建立当時は、現在の地より4kmほど南側の国分町にあったという(筑後川の対岸)。
その後、衰退し足利尊氏により現在の地に移転再興。
さらに慶長年間1596-1615に柳河藩主田中吉政により再興されたという。
寺内には地蔵来迎図板碑じぞうらいごうずいたびが保存されているという。
この板碑は、高さ1m。
室町時代の作で、明治2年1869に発布された神仏分離令により、 高良山愛宕神社奥の院付近から当寺に移されたという。
筑後川をはさんで、川北に法華滅罪寺(尼寺)を置き、川南の国分町に金光明四天王護国寺(僧寺)を置いていたものが、後世合併して、護国山国分寺と称することになり、暦応2年1339足利尊氏により、仏閣法堂が再建された。
また、安永6年1777には有馬頼僮公により、筑後西国三十三ヶ所11番観音霊場に定められ、明治4年1871天台宗比叡山延暦寺の直轄となった。
現本堂は、昭和57年再建。
現第35世。
(当寺由緒書から抜粋)境内には、がん三大師御宝前と記された赤い幟が40本以上並び立っている。
がん三大師(元三大師)は、康保3年966第18代天台座主となり、荒廃した比叡山の堂塔伽藍を復興し、中興の祖と仰がれた僧。
密教修行の力をもって、多くの人々の苦難を救われたという。
がん三大師ご縁日ということで、毎月3日11時から縁日護摩祈祷法要が行われている。
寺の背後は、筑後川である。
一対の仁王様が山門を固めておられる。
寺内には、本尊聖観音が安置される本堂・歓喜天堂・薬師堂などがある。
境内には恵比寿天・馬頭観音・地蔵菩薩などの石像がみられる。
門前は、古い町並みとなっている。
護国山 国分寺 (天台宗)筑後三十三箇所観音霊場十一番札所本堂のご本尊が聖観音菩薩さま。
名前 |
国分寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0942-32-7486 |
住所 |
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評価 |
4.4 |
毎月1日と16日は大聖歓喜天様(聖天様)の御縁日です。
聖天堂の少し開かれた襖から観音様と歓喜天様(聖天様)の厨子が拝見出来ます。