良い神社というものは足を踏み入れた段階で「良い」と...
村田浮立十月第二日曜日に行われる五穀豊穣、無病息災を願ってのお祭りです。
獅子舞、太鼓、鉦、羽熊のお囃子など賑やかなお祭りです。
村田神社での幼な子二人が操る獅子舞は、30分程あり見物です。
良い神社というものは足を踏み入れた段階で「良い」と理解できるようなものです私は好きです、この神社。
村田八幡神社の裏に行くと、竹やぶがありその中(竹やぶ)に、地蔵堂のような物があります。
初詣の参拝から秋大祭等伝統のある神社です。
普段は無人で参拝者もいませんが落ち着いた雰囲気の神社です。
毎年村田浮立のお祭りの時は参拝者が大勢訪れます。
地元の方に崇敬されている神社です。
神主さまがとても丁寧な方で、お祓いも私たち夫婦しかいませんでしたが、とても丁寧におはらいしていただけました。
村田浮立の際は大変賑わうが、国道34号から少し北に入るため、普段はとても静か。
境内から参道側を見下ろすと、戦国時代に領主だった筑紫氏が作った道路が千栗方面に延びる様子がわかる。
マックスバリュ 鳥栖村田店の裏手にあります。
閑散としていました。
ゆっくり散歩するには丁度良い所でした。
元村社 八幡神社 一佐賀県鳥栖市村田町 玉依姫命 菅原道眞一祭神 應神天皇並保食神 筒男命 豊玉彦命一由緒ノ概要往古ハ江島村石王ニ豊后宇佐八幡宮ノ分霊ヲ祀リシヲ天文六年中時ノ領主筑紫椎門現地ノ社殿ヲ新建シテ奉遷シ神領地ヲ献シ神職数名命婦一名ヲ奉仕セシメ養父郡ノ宗廟トシテ崇敬セシガ天文五年八月島津氏ノ兵燹に罹リ文書神寳等悉ク焼失セリ其後鍋島氏ノ領トナルヤ社殿ヲ再興シ祭資ヲ供進シテ江島郷ノ宗廟ト定メ祭典神幸式等盛大ニ擧行スル事トナリ以テ維新ニ及ヘリ社格制定ニ依リ明治六年村社ニ列セラレ仝四十年二月神饌幣帛料供進ヲ指定セラル一祭日 祈念祭 二月二十八日 例 祭 四月三日 新嘗祭 十二月十七日一特殊神事毎年十月十五日又ハ之ニ最モ近キ日□(「曜」の異体字)日江島町下ノ宮ヘ神幸式ヲ挙行ス 下ノ宮ハ往時浮殿ニ在リシガ後現地ニ移セリ当日ハ行列浮立獅子舞馬上ゲ流鏑馬等ノ行事有リシモ現今ハ馬上ゲ流鏑馬ハ行ハレズ昭和四十五年六月境内設置石碑文鳥栖市重要文化財肥前鳥居(ひぜんとりい) 昭和五十三年四月十四日指定 村田八幡宮第二鳥居は,慶安(けいあん)二年(一六四九年)に鍋島大和守茂範(なべしまやまとのかみしげのり)が寄進したものです。
肥前鳥居は,肥前地方に興った独特の鳥居の形式で,慶長(けいちょう)年代頃,特に造営が盛んだったことから,別名慶長鳥居ともいいます。
鳥栖市重要無形民俗文化財村田浮立(むらたふりゅう) 昭和五十三年四月十四日指定 村田浮立は,江戸時代から養父半郡(村田鍋島領)の惣社(そうしゃ)(一の宮)であった村田八幡宮の御神幸祭(おみゆきさい)として,陰暦九月十五日(現在は十月十五日に近い日曜日)に村田町と江島町の氏子(うじこ)約九十人でとり行われています。
昭和六十年十一月吉日 鳥栖市教育委員会社前掲示版村社 八幡神社 三養基郡旭村大字江島字村田祭神 玉依姫命 應神天皇 筒男命 菅原道眞 豊玉彦命 保食神往古は江島村石王と云へる所に,豊后宇佐八幡宮の分霊を祀りしに,天文年中時の領主筑紫椎門現社地に社殿を新築して奉遷し,神領地を献し神職数名命婦一名をして奉仕せしめ此郷の宗廟として崇敬せしか,天文五年八月島津来たりて筑紫氏を亡ほすや,社殿は兵火にかゝり,文書神寳等悉く烏有となる,其後鍋島氏の領となるや,寛文年間社殿を再興し祭資を供進して復舊を謀り,江島郷の宗廟と定め祭禮神幸式等盛大に擧行する事となりて維新に及へり。
明治六年村社に列せらる。
合祀により菅原道眞他二柱祭神追加す,明治四十年二月十五日神饌幣帛料供進指定氏子戸数 二百六十戸境内神社 八坂神社 祭神 素盞嗚尊仝 天滿神社 祭神 菅原道眞佐賀県神社誌要狛犬:「寛政七年 四月吉祥日」1795年。
名前 |
村田八幡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
自然に恵まれていいが、駐車場が無い為。