椿・秋松・弁分・小正(おばさ)・若菜・楽市・安恒・...
中にも絵が沢山奉納されていたけど「八幡宮」の扁額の書が一番すごい。
897年、宇多天皇の勅命により創建されたと言われる由緒ある神社⛩ 表通りから少し入るだけで空気が一変 神聖な雰囲気の神社。
道路沿いから、白く大きな鳥居が見え、どんな神社だろうと、気になってはいたが、ずっと行けずじまい、今回初めていったが、独特の雰囲気があり、歴史のあるじもと住民にとても大切にされている場所、木々と建物の神秘さに感動、帰る途中に数人の小学生にすれ違ったが、皆挨拶をしてくる、よても良い環境なんだろうと、思えた。
車通りのある道路から離れた場所にあるので静かで雰囲気は良い。
御朱印は階段下の宮司さんのご自宅で頂けますが、書ける方がご不在の場合はスタンプになります。
県道60号からアクセスする際は、巨大な鳥居のある道と注連柱がある道と両方から行けます。
注連柱がある道は、時間帯によっては中学生の自転車集団が道いっぱいに広がっているので注意が必要です。
椿公民館の南にある鳥居前も坂道を降りてきた自転車が飛び出してくるので注意。
椿公民館下の駐車場が便利。
10月に行われる獅子舞、夜神楽は必見です。
神功皇后が朝鮮出兵の折、堅い木で作った刀の鍔(つば)を奉納し、日本の平和と繁栄を祈願したという伝承が「つばき」の地名の由来といわれている。
ちなみに、このすぐ近くにある弥勒堂は、耳の仏様として多くの参拝者が訪れるそうです。
御朱印は頂けますがスタンプです。
厳かで良かったです。
狭い道ですが少し離れた神社の向かいに広い駐車場(舗装あり)と境内近くにも駐車場があります境内は広く綺麗にお手入れされています御朱印は社務所から階段を下った宮司さまのご自宅で頂けます。
余り人気は無いですが、神功皇后時代から続く由緒正しき神社という事で。
駐車場が舗装されてないので、停める際は気を付けましょう。
一番ご利益があります。
嘉穂盆地にも暑さが去り秋が訪れ始めました。
おくんちも終わり椿の庄には冬支度が始まります。
今も境内には銀杏が成るのでしょうか?大晦日まで大きなイベントはありません。
少年の日の思い出。
12月31日の大掃除が終わり清々しい境内に大晦日の深夜から友人達と集まり新年を迎えるのが常でした。
参拝客は除夜の鐘の音が鳴り止む頃の深夜に多く訪れます。
社務所でお神酒を戴きつつ、新年参りをして帰る参拝客が切れる迄焚火にあたって粘っていました。
粘りすぎて元旦早朝の境内には人の姿が無いので寂しいかった記憶があります。
三社参りは椿八幡宮と曩祖八幡宮と太宰府天満が定番でした。
椿八幡宮にお立ち寄りの時には是非とも見て頂きたいものがあります。
①ご神木の「海石榴」(ツバキ)の枝の奇異なる椿の木があった。
(現在は記念樹です。
) 海石榴は日本原産とも古代大陸からもたらされたとも言われています。
時の権力勢力に材木・薬用・油・悪魔祓い等用として献上されていました。
その祭祀を司る者を「稲幡」(ハタガシラ)といいます。
海洋圏に勢力を持った力あるものの意といわれるそうです。
椿の庄はヤマト王権成立前から肥沃な土地(後の穂波の屯倉)を有していた地域であり、天物部(二十五部)の一つ「物部大豆村」などの地名も存在する古代ロマンが香る場所であります。
原木そのものは戦火により失われており現在のものは他より移植されたもとの情報もありました。
②村の境にあったという巨大な鳥居 参道入り口にある放生池(ホウジョウチ)傍の大鳥居を見上げて不思議な気持ちになりませんか?「一の鳥居」と「穂波新宮」の史跡ですが、なんでこんなに大きいのか?ちなみに鳥居は本宮までに全部で4つあります。
放生池のそばに立つ「安藝殿宮」てなんなのでしょう? 椿八幡宮は1263年前、天平勝宝三年(西暦751年)に旧穂波町に誕生した伝統の古い地名を残して居る神社です。
当時、宇佐八幡宮から「筑紫水沼の君の後裔秀村安芸大夫長晴」を神官兼代官とし、ここ椿八幡宮に向かえたことから神社となっています。
「筑紫水沼の君」?なぜ「代官」?謎だらけですね。
③椿八幡「おくんち・獅子舞」とは? 椿八幡お宮日(おくんち)の獅子舞は約400年の歴史があり、椿地区の家庭を2日間かけて回ります。
椿八幡宮と宮司宅で獅子舞を奉納した後、青柳家にて神殿(寝殿)入りを行い獅子舞は終了となります。
子どもから大人まで、多くの廻し手や楽器の演奏者などが参加した祭りは最高潮に達しフィナーレを迎えます。
開催日は10月第2土・日曜日。
このおくんちには発祥記録が残っていません。
大分八幡宮には残っています。
また獅子舞の役割があまりにも違っています。
大分八幡宮の場合は一連の神事中の清めや地固めの役割でしかありません。
椿のおくんちは各家を回ります。
それも2日がかりで、一軒一軒「ハナキリ」「ナカキリ」「キリ」と内容も手を抜かず全力です。
また社再建時の記録がある大分八幡宮との大きな違いは「清めの獅子舞」が境内で行われても、その場所で神事や「御神楽」は行われません。
いくつかの分社でも神事は行われません。
なぜでしょう?また同じ八幡宮である綱分八幡宮の獅子舞とも違います。
太鼓打ち以外の装束や、演奏で使用される横笛も6穴と7穴の違いがあります。
獅子頭の保管方法でもね。
また福岡県は獅子舞の宝庫です。
小生はこの事の起こりは、黒田継高公と江戸幕府の享保14年~17年の大飢饉後の施策によるものと考えています。
まだまだたくさんある郷土の歴史ロマンの推理の旅は楽しいですね。
参考までに正式なご紹介飯塚市教育委員会(境内案内板より) 神功皇后が新羅、百済、高句麗よりの帰途この地に立ち寄られ、その折り堅い木で作られた御剣(みつるぎ)の鍔を奉納され、日本の平和と繁栄を祈願された所と伝えられており、これにより「ツバキ」(椿)の名が起ったといわれています。
当社は、八九七年(寛平九年)勅命により当時九州の政治外交を司った大宰府政庁が創建し、穂波新宮と云われ、椿庄の惣社として氏子はもとより広く朝廷幕府の崇敬厚く、政庁の官人等も礼を尽くして参拝していたと云われています。
これが「椿八幡宮」の起こりです。
その後、幾度かの再建、再興がなされ現在に至っていますが最盛時には穂波郡全村を管轄していたと言い伝えられています。
稲刈りも終わり、10月第二土日で椿八幡お宮日(おくんち)の獅子舞が開催されます。
椿の庄(椿・弁分・安恒他)で地区毎の獅子舞は移動しています。
太鼓と笛の音を探してください。
椿の獅子舞は、夜には神社の周辺にまで戻ってきます。
日曜日の寝殿入りまで見て、その後の夜神楽まで楽しんでいってください。
この日を境に椿の庄には冬支度が始まります。
神功皇后の伝承が残る神社、飯塚は伝承がある宮の密度が濃いことから、神功皇后に味方した有力者が複数いたのかもしれないと感じました。
名前 |
椿八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0948-22-2299 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
椿・秋松・弁分・小正(おばさ)・若菜・楽市・安恒・高松(太郎丸の内)・堀池の九村の産土神である。
祭神は八幡大神(応神天皇)・神功皇后・武内宿禰である。
神功皇后が大分で軍勢を解散して都に帰る途中、この地に立ち寄られたとき、村人は樫木で作った皇后の劔の鍔を献上したのでツバキ(鍔木→椿)の名がついたといわれる。
「宇佐大鏡」に孝謙天皇天平勝宝3年(751)筑紫水沼君後秀村安芸太夫を代官として居らせたとある。
以後大友氏の焼き討ちなど風雪はあるが、神主秀村家は現在に至っている。
少し離れた境内に、秀村家先祖を祀る安芸殿神社もある。
境内社に産守神社がある。
近隣に知られる安産の神で、4月11日に安産祈願の女性だけでなく、農作物の豊作を祈願しておこもりをしている。