今尚この街角に立っている事の尊さを、思い知るべし。
石造十三重塔(市指定文化財) / / .
3.3mの十三重の石塔。
蟻木城城主の供養塔とも。
千葉県内唯一の室町時代の造塔、市原市指定文化財下段の二段は小松石、上部は御影石。
蟻木城跡にあるので、蟻木城主と関係があるか? 天文-天正(1532-1593)のころに討死した二階堂実綱の供養塔との里伝あり。
文政年間(1816-1829)に江戸時代に領主であった旗本永井鉄弥が石塔を江戸邸内に移したところ、再三の火災にも損傷しないので祟りを恐れて蟻木城址に戻した。
石塔四面に月輪を印刻しその中に薬研彫りで密教系金剛界四仏アク・ウーン・タラーク・キリークを梵字で刻む。
塔の元位置は、斎藤家家伝によれば宅地続きの南側に張り出した竹林の中にある北西部土畳らしき丘の上という。
この地は神聖な場所とされ、地鎮様をお祀りし地形を変えることは禁じられていた。
南と西は3m程度の要害となっており、「城跡の墳上」(市原郡誌)にあたるか?(『市原市史』別巻pp.10-11)(青柳至彦「有木城跡と石造十三重塔」『いちはら歴史の散歩道』平成市原農業協同組合、24年10月。
pp21)塔のすぐそばに井戸があり、そこから細い道が林の中に伸びて丘の上に至る。
途中、墓が散在し、丘の上に塚がある。
丘から下る道の脇に湧水がある。
かつては、この丘のあたりに城と関連する館などがあったのではないか。
丘に登る小道は人工的に作られたもののように見受けられる。
現在、小湊鉄道によって分断されているが、ここらあたりは行基に由来する伝承を有する古刹長谷寺の境内の一部であったか?
市原市の文化財に指定されている塔高3.3mの石塔で、天文21(1551)年、里見義堯に攻略され討ち死にした二階堂又太郎実綱の供養塔と云われています。
名前 |
石造十三重塔(市指定文化財) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
凡そ500年前の歴史の証言者が、今尚この街角に立っている事の尊さを、思い知るべし。