名前 |
貴船神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
村社 貴船神社 鞍手郡古月村大字上木月字上ノ屋敷祭 神 闇龗神、高龗神由 緒 社伝に永禄年間鷹取の城主毛利兵部少輔鎭實(豊後大友氏の幕下にして当郡鷹取の城主なり天正十五年まで在城せりと言ふ)山城国愛宕郡鎮座の式内貴船宮を勧請し社伝を造営祭祀し下流十五六箇村の井手(遠賀川の筋なり)の守護神とせりと言ふ当時造営の棟札写(棟札は天正年間兵火に罹り焼亡せりと云ふ)に奉献貴船宮本殿一宇云々願主毛利鎭實神主佐野清麻太夫正氏永禄四年朔日附記里老の口碑に依れば往古より当所穂掛藪(往昔より秋季祭典に新穀の初穂を本社に捧ぐる例あり故に社地を穂掛藪と唱ふるにやと云う)に水神社ありて遠賀郡川筋に於ける当村関係の堤防守護神なりき然るに豊後の大友氏当地方を領するに及び幕下の将毛利鎭實を鷹取に在城せしめ当地方を支配せしむる時鎭實遠賀川沿岸の地年々水害を蒙り年穀の損耗あるを憂ひ山代国愛宕郡の貴船宮を勧請し水神社に合祭し社殿を改造せられたりと言ふ又社伝に本社は往昔神田ありて其寄進状も神社に蔵まりたりしが天正年間(天正八年とも言ふ)今許斐川合戦のとき社殿兵燹に罹りしとき焼亡せりと云ふ。
正保三年(社伝書に四年とあるも棟札写には三年とあり)現今の地今許斐(小字上の屋敷と言ふ)に社殿を造営し穂掛藪より遷座祭祀すと言ふ棟札写(此棟札も宝暦年間に焼失せりと言う)に奉再建貴船宮本殿一宇云々願主氏子村民謹請神主佐野清麻正保三年七月吉日宝暦十三年三月社殿再建附記口碑に是より先き社殿大破せいしも当時民力再建に堪へず依て民家の側に一時仮殿を構へ祭祀せしを今年に至り造営せりと言ふ。
明治六年三月幣殿再建す、明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日 十月十六日神饌幣帛料供進指定 明治四十五年五月十六日主なる建造物 本殿、幣殿、拝殿境内坪数 百七十坪氏子区域及戸数 上木月区 八十戸福岡県神社誌 上巻。