どうみても草薙の剣に由来が深い神社。
古物神社ふるものじんじゃ福岡県鞍手郡鞍手町古門1237祭神天照大御神日本武尊仲哀天皇スサノオの命神功皇后ミヤズ姫神応神天皇布留御魂神神社合併により祭神が多くなったと思われます十握剣を祀ったのが本来と思われます訪う人稀な神さびた神社です。
のどかで😊良い所❗️御朱印は、宮司様宅にて!今の時季。
参道の桜🌸が綺麗👍
伊藤常足公の住居跡と同じ敷地にあります御朱印をいただきましたうえ、常足公の住居跡の説明までしていただきました。
鳥居の横の細い道を行くと駐車場があります階段を上がると境内は綺麗に掃除されていました無人ですが宮司さんのお母様が書かれた筆書きのメッセージが貼ってありますご自宅に在宅であれば御朱印も書いて頂けますが、お金は受け取られないためお賽銭箱に入れさせてもらいましたセルフのおみくじもあります。
どうみても草薙の剣に由来が深い神社。
ヤマトタケルが剣を置いていった場所。
何時行っても人が居らず、それ故に神秘的な雰囲気です。
神功皇后伝承地虫生津から上陸した仲哀天皇・神功皇后一行はこの地に輿を留めた。
素戔嗚尊旧跡、熱田の神剣が空から降ってきたなど伝承が多い。
地名の古門は降物が転訛したとの説も。
御祭神天照大神・日本武尊・素盞嗚尊・布留御魂神・宮貴姫命・剣大明神・仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・仁徳天皇時代はもっと後になるが近くでは6世紀後半から7世紀にかけての古門窯跡が発見された。
周辺の古墳と合わせて考えても皇后の時代にはその素地があったのだろう。
物部の息吹が聞こえてきそうな社である。
仲哀天皇と神功皇后の伝承が残る古社。
古物神社の元になった八幡宮の縁起に、古門村はスサノオの命が高天原より出雲国に行く時の旧跡になるとあるそうです。
そうすると高天原はこの神社より西か南になります。
結構大事な事をサラッと言っていてビックリです。
ふるものじんじゃ祭神:天照大御神、日本武尊、仲哀天皇、素盞嗚尊、神功皇后、ミヤズ姫神、応神天皇、布留御魂神由緒は不詳。
祭神・布留御魂神は大正時代に布留神社から合祀している。
社説に曰く、当社は、もと剣神社、八幡宮、二つの産土神だったのが、文政11年に九州一帯の暴風で剣岳の剣神社の神殿などがことごとく倒壊した。
よってこの西山に鎮座の八幡宮に合祀した。
明治4年に神祇官の依命が村の名前の旧号を取って、古物神社と改めた。
八幡宮の縁起に曰く、古門村は神代の昔、スサノオの命が高天原より出雲国に行く時の旧跡である。
十握の剣とスサオノの命を昔から祀る神社で、剣神社と号す。
剣神社の縁起に曰く、天智天皇の御世に、僧・道行が熱田神宮の神剣を盗んで、新羅に行こうとした時、剣がにわかにその袋を突き破って空に飛び去り、筑前の古門に落ちた。
その時、光が放たれて、数里四方まで輝いて見え、土地の人が驚いて見ると、剣だった。
みんなこれは神のものだと思って、穢れのないようにと、相談して小さな祠を作ってこれをおさめた。
朝廷がこれを聞いて草薙の剣だと分かり、使いの官吏を派遣して熱田に戻した。
これよりその剣が落ちた所を「降物」と言った。
剣が自ら降りて来たという意味で、今「古門」と言うのはなまりである。
剣は熱田神宮に戻ったとはいえ、神霊はなお古門に留まっていて、魔を払い、災いを消すということで、万民が崇敬した。
石上布留魂大神の座所のゆえ、布留毛能(ふるもの)村と名付けた。
「宗像記」に、古物村にある西山八幡宮は仲哀天皇、神功皇后、共に熊襲及び三韓征伐の時の行在所である。
天皇、皇后が筑紫の岡湊から香椎宮に行かれた時、遠賀郡芦屋から船に乗って、同郡虫生津に御上陸、鞍手郡古門村にみ輿(こし)を留められた。
そこから白山嶺を越え、省木村三坂峠を過ぎて、宗像郡に移動された旧跡という事で、村民はここに祠を建てて奉斎している。
常足先生(一七七四~一八五八)は元来、筑前の国鞍手郡、古門の、古物神社の神官で魚沖と称した。
神社のかたわらにあった常足先生の私塾、〈古門小学〉には、先生の蔵書や著書、資料を納めた槙廼家文庫があった。
名前 |
古物神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0949-42-3200 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
由緒ある神社さまです。
綺麗に掃除が行届き整備され気持ちよく参拝させて頂きました。
氏子さんや地域の方々のご苦労様とお陰様に感謝申し上げます🙏😊伊藤常足翁の邸宅と隣接しております。
ご子孫の方々に親切丁寧にご対応、ご教授して頂きました。
重ねて御礼申し上げます🙏☺️参拝のおり、小銭入れを落としてしまいましたが伊藤常足翁のご子孫の方々にご連絡賜り、無事戻りました。
ご縁にと交通安全のお札とお神酒を賜りました。
嬉しい限りでございます。
益々、地域が栄える事をお祈り申し上ます🙏🌞