神功皇后の船留めの松がありました。
鳥居とコンクリートで出来た階段と神社だけの寂しい所です。
神功皇后伝承地ここまで舟で来て貴船の神を祀った。
船留の松跡がある。
御祭神高龗神・闇龗神現在の洞海湾と遠賀川河口を結ぶ江川からは直線で約1.5kmほど離れているが、弥生海進期当時の洞海がこの辺りまで入り込んでいた事になる。
江川方面から向かうと穏やかな丘陵に挟まれた道を進むが入り江であった事が納得の地形である。
少し離れた西には青葉台や高須など住宅地が広がるが、戦後宅地開発されるまでは何もないような台地であったから、もしかしたらここから上陸してこれから向かう遠賀川河口や西側を国見されたのかもしれないな。
洞海湾一帯という広い範囲を治めていた熊鰐にも有能な配下が幾人も居た事と思うが、それらの一部が営んでいた地になり案内したのだろう。
そういった歴史ロマンも含めて☆4とさせて頂いた。
北九州の言い伝えによると、「神功皇后の船が洞海を通る時、船がなかなか進まないので、この入り江まで小舟で入り、貴船の神を祀って松を植えた。
この松を船留の松という」神功皇后の時代には、今よりずっと海が入り込んでおり、この辺りは小舟を留めるに格好の地形だったのでしょう。
船留の松は枯れ、今は石碑が建つのみですが、拝殿の在る高地から見下ろすと、まさに此処は入り江であり、波が打ち寄せていたであろう光景を思い描く事ができます。
場所が判り辛いのですが、入って来る狭い道の入口に、毎年4月15日に貴船神社で行われる「ほら貝祭」の由来の説明版がありました。
その伝説を書くと長くなるので割愛しますが、筑前芦屋の商人が奥州津軽で600余年も生き続けた女性に会った話で、不老長寿になった海女の娘の切ないお話です。
その説明版から100mほど歩いた所に船留の松の石碑が在りました。
説明版の所に一台駐車できるスペースがあるのみで、駐車場や社務所はありません。
御朱印もありません。
北九州の言い伝えによると、「神功皇后の船が洞海を通る時、船がなかなか進まないので、この入り江まで小舟で入り、貴船の神を祀って松を植えた。
この松を"船留の松"という」神功皇后の時代には、今よりずっと海が入り込んでおり、この辺りは小舟を留めるに格好の地形だったのでしょう。
船留の松は枯れ、今は石碑が建つのみですが、拝殿の在る高地から見下ろすと、まさに此処は入り江であり、波が打ち寄せていたであろう光景を思い描く事ができます。
場所が判り辛いのですが、入って来る狭い道の入口に、毎年4月15日に貴船神社で行われる「ほら貝祭」の由来の説明版がありました。
その伝説を書くと長くなるので割愛しますが、筑前芦屋の商人が奥州津軽で600余年も生き続けた女性に会った話で、不老長寿になった海女の娘の切ないお話です。
その説明版から100mほど歩いた所に船留の松の石碑が在りました。
説明版の所に一台駐車できるスペースがあるのみで、駐車場や社務所はありません。
御朱印もありません。
名前 |
貴船神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
神功皇后の船留めの松がありました。
花鳥池で御座船が座礁した時に小舟で訪れたのかな?近隣の方々が親切でした。
Carlos