まだ神殿や社務所は開いてませんでした。
☺️静かな住宅街。
こんな所に⁉️って⁉️ちょっとびっくり😲しましたが、鬼滅の刃でたんじろうが切った石にそっくりな石がありました。
知る人ぞ知る‼️でしょうか。
☝️絵馬には鬼滅の刃の登場人物の絵がかかれていました。
炭治郎が岩を切るシーンで有名になった神社です。
私が訪問した時も、鬼滅のコスプレをした親子が写真撮影してました。
コチラの方に聞いた話では、割れた岩があった場所に神社が出来たそうです。
鈴岩は岩の裏側にある木の根が岩が3方向に侵食し、岩が割れたのではないだろうかと思います。
境内への階段を登り切ったすぐ右にも、岩を持ち上げて食い込んだような木があるので、鈴岩も同じような理由で割れたのだと思います。
ココの狛犬は「がきデカのこまわり君」みたいな顔してます。
コチラの神社は車で行くと、正面からでは停める場所もないし行き止まりになるので、ウラの住宅街から進むと、10台程度駐車できるスペースがあります。
西鉄バス営業所を目標に進めば、看板が見えると思います。
とても綺麗に清掃されていました。
参道の階段を上がると大きな鈴石が!これ炭治郎が切った岩?なのかな…。
昔、大雨で貫山から土石流が来たのを機に建設されました。
詳しくは石碑に書いています。
閑静で良い雰囲気の神社です。
鬼滅の炭次郎の修行のモチーフではないかと噂される鈴石(スズイワ)が見物!神社迄車で行けますが、歩いて石段を登るのをお勧めします❗途中に見事な古木があり、必見です‼️これで1本の木です⁉️
「鬼滅の刃」聖地巡りし…❔⁉️「鈴石」を…一時はすごい人々が…先週はひっそりと…只、私独りだけでした!
思いの外、参拝者は誰もいなかったのでゆっくり参拝できましたが休日なのに社務所に誰もいなかったです当然、御朱印もいただけませんでした鈴石は想像を越えて凄かったです。
「鬼滅の刃」で俄然注目を浴びている炭治郎が斬ったのかもしれない鈴岩が人気の観光スポットになっています。
北九州市の鬼滅スポットと聞いて行ってきました!炭治郎が修行中に切った石にそっくりな鈴石があります!大きく迫力あります!パワーもらえそうな感じでしたよ〰!小雨でしたが参拝者も結構いらっしゃいました。
御朱印も頂けてよかったです!
あの鬼滅の刃で有名な神社ですが、神社の中は、あまり綺麗とは言えない。
自営業というか、住吉神社とかのように整った神社ではなく、個人でやってるんだなといった感じ。
御守り、御朱印等の所には人がおらず、ピンポンを鳴らしたら来る感じ。
福岡県にある鬼滅スポットです。
朝早かったので人がいなくラッキーでした。
#鬼滅の刃#竈門炭治郎#錆兎#真菰。
鬼滅ブームの中 この鈴岩を見ようと来ました。
素敵な場所に位置しており阿蘇山から飛んできたこの岩は 大きくて迫力があります。
年賀状用に 禰豆子と炭治郞の衣装を着たご兄弟の姿を見ました。
可愛かったです。
普通の神社ですが、【興味深い】🤗御祭神・【宗像三女神・應神天皇・神功皇后】を祀られている。
【御由緒】平安時代の初期、第五十六代清和天皇の御字、貞観元年(859)豊前国の宇佐八幡宮の御分霊を京都山城国の男山に御勧請の時(後の石清水八幡宮の興り)、貫の此処鈴石とよばれる大石の上に御神輿が一夜駐與せられた。
その後、第五十七代陽成天皇の御字元慶七年(883)二月、貫の領主石川左近将監直木が社殿を造営し自ら神主となり天下泰平・五穀豊穣の祈念を奉仕された。
これにより貫の鎮守の神と崇められ、住民の産土神・氏神として尊崇をうけることとなった。
創祀の頃は、御神輿駐輿の鈴石にちなんで鈴石八幡宮と称されたが、やがて正八幡神社と改名せられ、更に莊八幡神社と改称され現在に至る。
南北朝時代に将軍足利尊氏公より祭田として寄進田を受ける。
江戸時代の元和五年(1619)豊前・豊後両国の大主細川忠興候が宇佐八幡宮に参内し、天下泰平の祈念の為、神輿を造り放生会を御執行、当神社に於いても神輿を造り武運長久・五穀豊穣を祈念して❝大祓い❞の大祭を斎行された。
後の小笠原候に至っても、大祭には御代参を立てて代々当神社を崇敬した。
明治七年(1874)六月九日郷社に昇格明治四十年(1907)三月二十日神饌弊帛料供進神社に指定。
このように創建より近郷の人々から貫の大宮様と尊弥され、広く崇敬を受けて今日に至る。
【鈴石の信仰】貫のここに荘八幡神社が誕生する遥か以前に鈴石様と称され、土地の人々は近郷近在の崇敬を集めていました。
この鈴石様には、壽命の神・健康の神として、不老長寿の御神徳を持つ石長比賈という媛神様が宿られていると信ぜられ、また陽石(男石)・陰石(女石)とで一体となっていることから古来より❞縁結び❝を始めとして、夫婦円満(夫婦和合)安産、家内安全、商売繁盛、願望成就といった信仰を受け現在に至るまで祈願。
される参拝者が断ちません。
『昨今鬼滅の刃の竈門炭治郎が修行中大きな石をま二つに切る技が有りますが🈁の石も二つに切れてます』😍🤩🤓🤗 🅿️🚾有ります長々とスミマセン🙃☹️😰😓
朝8時頃に訪れたので、まだ神殿や社務所は開いてませんでした。
神殿の手前に大きな岩があり、何かで切ったかのように綺麗な裂け目がありました。
話題の鬼滅の刃で主人公が修練するシーンに似たくだりがありますが、こちらは9万年くらい前に阿蘇の噴火で飛んで来たものではないか、という説を神社の方がテレビで話していらっしゃるのを観ました。
次は神殿が開いてるときに行って、言われなどを伺いたいものです。
鈴石という大きな割れた石があり御利益があるそうです。
御朱印は紙に書いた物ですが頂けます。
産まれてから毎年必ずお参りに行く神社です。
普通の神社ですが私にとっては☆5つ。
祭神は譽田別尊(應神天皇)、息長帯媛命(神功皇后)、多紀理毘賣命・市寸嶋比賣命・多岐都比賣命(宇佐・宗像三比賣命)。
社殿手前右側に宇佐八幡の神輿が駐興した鈴石がある。
神社名は当初、鈴石神社から軈庄神社、そして、宇佐の荘園の地であったことから、荘八幡神社と改称、現在に至る。
階段が長いので、足腰に自信が無い方は、西鉄弥生が丘営業所目指して車で来て、その先を左折、神社手前の駐車場に停めて参拝が可能。
貞観元年(859年)、宇佐八幡宮の御分霊を京都の男山(石清水八幡宮)に祀る為、宇佐からの道中、貫の庄にあった鈴石の大石の上に一夜、神輿を駐興。
貫の領主、石川朝臣左近将監直木が自ら神主となり、元慶七年(883年)社殿を造営。
以来、現在まで石川家が守り祀っている。
2018年 8月参拝。
小さめな 歴史を感じさせる 神社です。
鈴石という 円満な巨大石があります。
御朱印を頂きに来ました❗社務所に人は おらず インターホンで 御朱印頼めます。
紙に書いた御朱印です。
日付のみ 手書きです。
今日が初めてのお参りでした。
境内の駐車場に停めて最初に目に入るのは鈴石(石長比売命) 不老長寿と言う、巨大な石です。
この石は真ん中が割れて(開いて)います。
夫婦円満、安産、商売繁盛、家内安全、願望成就等のご利益が有るそうです。
資料に由ると、荘八幡神社は下記の歴史が有るようです。
第56代 清和天皇の御宇貞観元年 宇佐八幡宮の御分霊を神輿に捧持し京都の男山にお祀りすべく、宇佐の地を出発され 途上 貫の庄に鈴石と云う大石が有り 一夜この石の上に駐興せられた。
当時の貫の領主、少弐従五位の下 石川朝臣左近将監直木が自ら神主となり第57代 陽成天皇の御宇 元慶七年二月 社殿を造営し、宇佐八幡宮大神の御分霊としてお祀りした。
その昔、足利尊氏公より八十町の祭田の献上あり。
神社名は鈴石神社から軈庄神社そして、藤原氏の荘園であったことに鑑み、荘八幡神社と三度改称。
歴史の有る神社でした。
事務所が開かれて真っ先にご挨拶に参じた、我が事務所の八幡様。
いつも私たちを温かく優しく見まもって頂いて本当にありがとうございます。
どうぞ私たちの回りにいる方々の幸せのお役に立てる私たちであります様、お導きお護り下さい。
平成29年4月24日参拝御朱印あり大きな岩が真っ二つになっている鈴石がある。
近所の方がよくいらっしゃってます。
赴いた際に挨拶をいただきました😊自然豊かな静かなところにあるので、鳥の声も多く聞こえます。
確かに道は狭いですが宅急便の車も通ってますから。
鈴石はビックリしました。
『ほぉ~!』ってなりました。
道がせまかっ。
名前 |
荘八幡神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
093-473-6060 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
参道の階段はすごく運動になりました。
静かに参拝でき、空を見上げると、飛行機を目撃して、とても素敵な時間でした。
有難う御座いますた。