思ったよりも目立っていません。
床屋の聖地がここに?
床屋発祥でしたか?
山口県下関市中之町1-1【亀山八幡宮かめやまはちまんぐう】
まさかの床屋発祥の地。
この渡来人に髪結いの技術を教えてもらった一族、京都から下関→鎌倉→江戸と凄い移動している。
ひっそりとあるので注意して見てね。
普通に歩いていると気づかない場所にひっそりと立っています。
亀山八幡宮の近くです。
辛子明太子、瓶詰めうに、近代捕鯨等多くある下関発祥のものの一つで一番歴史がある。
他県で散髪してもらった時、下関から来ましたと言うと、下関に行った事がある方が沢山居られます❗話も弾みます❗
殆どの人が気付かないで通り過ぎていくかもしれない。
なんせ亀山神宮の傍らに建てられているからな。
ところが亀山八幡宮境内ご案内の図に書かれてある。
大鳥居に向って右側に書かれてあるだろ。
鎌倉時代の中期(1264~73年)、亀山天皇に仕えていた京都御所の北面の武士“従五位ノ下北小路蔵人頭・藤原基晴”は、宝刀紛失の責任をとってその職を辞し、三男“采女之亮政之(うねめのすけまさゆき)”を連れて宝刀探索のため、当時蒙古襲来で風雲急を告げていた長門国下関に下った。
采女之亮は、新羅人の髪結職からその技術を学び、我が国初の結髪所を開き往来の武士や金持ちを客として生計を立て、宝刀の探索を継続していた。
その結髪所の奥には、亀山天皇と藤原家祖先を祀る立派な床の間(とこの祭壇)があり、いつとはなしに「床の間のある店」と呼ばれ、転じて「床場(場は人の集まる場所)」、さらに「床屋」という屋号で呼ばれるようになり、下関から全国へ「床屋」が広まった。
その後、采女之亮は宝刀を見つけ朝廷に奉還し、鎌倉に移り住んで京都風の結髪職として幕府から重用された。
(由緒書より)
名前 |
床屋発祥の地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
083-232-5365 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
櫛と剃刀をモチーフにしたモニュメントが立っていますが、思ったよりも目立っていません。