京浜急行空港線京急蒲田駅より徒歩9分。
ヒエダ神社というので日枝、山王系かと思いましたが違うようで、元々は蒲田神社だったようですね。
平安時代にはそれらしき神社が既に記録されています。
蒲田の一角、こちらも広くて落ち着いている神社です。
蒲田八幡神社で御朱印がいただけます。
近所に、こんな素敵な神社があるとは、狛犬も素敵。
上品な神社で梅の時期に行くと最高です。
薭田神社(ひえだじんじゃ)と読みます。
御祭神は誉田別命・天照大神・武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)・荒木田襲津彦命・春日大神。
いつも掃き清められている神社です。
非常に清々しい神社でした。
常駐の神職の方はいらっしゃらないようですが、清潔感がありました。
疫病にも効果のあるご由緒のようで、一日も早い感染症の収束を祈念しました。
薭田神社。
京浜急行、梅屋敷駅から徒歩で10分ほど。
住宅街にある広い神社です。
御朱印は蒲田八幡神社にていただけます。
(19/06/21)御朱印を蒲田八幡神社の社務所でいただきました。
蒲田八幡神社の兼務社です。
無人の神社です。
御祭神誉田別命天照大御神武内宿禰命荒木田襲津彦命春日大神式内社。
京浜急行:京急蒲田駅より650mJR蒲田駅より650m。
東急蒲田駅より1.0km。
鄙びてますが、厳かで立派な神社でした。
行基菩薩が開祖のようです。
摂社に薬祖神社さまがあり、そこを参拝したところ、入院中の人が回復に向かったという電話がありました。
ご利益があります。
蒲田の住宅街にある神社広くて綺麗にされている昭和の狛犬も綺麗。
2019年8月、蒲田八幡宮と兼務社巡り。
境内も広く、参拝する方もなく、ゆっくりと参拝する事ができました。
とても落ち着きある神社です。
大祭の時は、社務所が、開くようです。
(19/06/21)御朱印を蒲田八幡神社の社務所でいただきました。
蒲田八幡神社の兼務社です。
無人の神社です。
御祭神 誉田別命 天照大御神 武内宿禰命 荒木田襲津彦命 春日大神式内社。
京浜急行:京急蒲田駅より650mJR蒲田駅より650m。
東急蒲田駅より1.0km。
『延喜式神明帳』にある、武蔵国荏原郡 稗田神社(小社)の論社の一。
旧郷社。
祭神は誉田別命、天照大神、武内宿禰命、荒木田襲津彦命、春日大神。
社伝によれば和銅2(709)年に行基によって創建されたとされています。
16世紀には豪族の行方氏の崇敬を受けて栄えますが、行方氏の没落と共に衰え、神宝や古記録など散逸したようです。
境内社が多いですが、周辺には境外社も点在していて、それが地域住民からの崇敬の篤さを物語っているかのようでした。
なお花崗岩で造られた石鳥居は寛政12(1800)年の建立で、大田区の文化財に指定されています。
そして狛犬は丸っこくて、何故か笑っていて可愛いです。
京浜急行空港線京急蒲田駅より徒歩9分。
JR蒲田駅よりとほ12分。
709年(和銅2)に高僧・行基が天照大神、八幡、春日の御神体を制作し奉斎したのが始まりであり古い歴史のある神社。
手入れが行き届いていて綺麗な明るく居心地のよい空間でした。
境内には薬祖神社、稲荷神社、三十番神社が鎮座しています。
現在は蒲田八幡神社の兼務社であり稗田神社を含む五社のご朱印は蒲田八幡神社でいただけます。
ひえだ神社です。
七五三の準備で御朱印は無理との事。
旧郷社、薭田神社。
延喜式内社である薭田神社の論社の一つです。
薭田とは蒲田の誤記という説があり、元は蒲田を代表する神社だったようです。
式内社薭田神社の論社には他に六郷神社があります。
御朱印は本務社である蒲田八幡神社でいただけるようになりました。
ただし、一年中いただける訳ではないので注意が必要です。
宮司非常駐ながら境内は綺麗に整備・清掃されていました。
いつも清々しい。
こんな小さな駐車場みたことない。
小さいながらも、かなり由緒ある神社。
神主ご夫婦は人徳があるお方で、毎日の清掃で境内はいつも美しい。
祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)第15代天皇 応神天皇ご利益:国家鎮護 殖産産業 家運隆昌 成功勝利 教育 交通安全 悪病災難除け 子孫繁栄。
このあたりでは一番大きく、立派な神社だと思います。
小さな頃から行っていますが、趣を感じます。
名前 |
薭田神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3735-1786 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ
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東京都大田区蒲田に鎮座する延喜式内論社・薭田神社の書き置き御朱印を参拝し授与頂きました。
社伝によれば、飛鳥時代の709年(和銅2)に行基菩薩が天照大神・八幡・春日の御神体を製作し奉斎した後、1282年(弘安5)に日蓮宗宗祖の日蓮聖人が、後に池上本門寺となる池上宗仲邸に滞在している時に訪れた村民の要請を受け三神像を開眼したそうです。
しかしこの三柱の神像が祀られてきたのは事実とは別に、社伝自体は創作とのこと。
当地は、垂仁天皇の御代に集落ができるとともに霊地又は斎場とされ、既になんらかの神が祀られる場として成立していたとみられている。
この薭田神社と見られる神社が史実に登場するのは、平安時代に編纂された歴史書「日本三代実録」で、「貞観六年八月十四日戊辰、詔して武蔵国従五位下蒲田神を以て官社に列す」とあり、これが薭田神社とみられている。
この後、延喜式神名帳において武蔵国荏原郡並小二座のうち一社が薭田神社(もうひとつは大森海岸駅が最寄りの、御朱印で有名な磐井神社)であると記載されている。
しかし、この「薭田」というのは誤写もしくは当て字であり、前述の日本三代実録や、この頃既に地名の蒲田が成立していたことを示す史料等から「蒲田神社」が正しい社号だったというのが各研究での通説であるとのこと。
延喜式神名帳に記された荏原郡薭田神社については、その所在が不明確となっており、後に別当であった榮林寺の僧が当地の歴史等から推測し当社を薭田神社として神祇管領に申請、受理され社号が成立したそうです。
なのでこの薭田神社の論社となっている神社は他にも御田八幡神社、鵜ノ木八幡神社、久が原東部八幡神社、六郷神社等あります。
御朱印は本務社である京急蒲田駅すぐの蒲田八幡神社で授与頂けますが、そもそも蒲田八幡神社はこちらの春日の像一体を、平安時代か鎌倉時代初期、または慶長年間に分かちお祀りしたのが始りなので、現在は本務社と兼務社が逆転しているような形になってます。
ちなみに蒲田八幡神社では本務社は直書き、兼務社は書き置きでのご対応となっていました。
最寄り駅は京急本線の京急蒲田駅となります。