広々とした公園として保存されていました。
広場がひろい野球したり、サッカーしたりと遊んでも余りある ゴルフは打てないなぁ~この間、犬のウンチ拾わん飼い主さん見た桜の季節がやって来るから、そんな主は立ち入り禁止❗
何も知らなかったのかな。
防府市の歴史について。
山口に住んでいた時に訪れました。
この地区の自治会は役員のじじぃどもが会議費という名目で酒を買って役員で山分けしてるそうです。
静かで落ち着ける。
駐車場はあるような無いような、南にあるお寺の前の所に車を停めた。
雑草がたくさん生えていた。
定期的に刈り取ってほしい。
公園になって子供を遊ばせるには良い。
とにかく広いです。
天平の甍が波打っていたころの景色を貧弱な知識で想像してみました。
地図を見ると、このあたりの道 碁盤の目ですね。
天延2年(974年)から4年間、枕草子の作者 清少納言の父 清原元輔が周防国司として赴任していました。
それに伴い、清少納言も9〜13歳の少女期を防府で過ごしたとの説もあります。
「マイマイ新子と千年の魔法」 アニメに出てきます。
海のそばで、東西南北に一定の広さで道路がそのまま残ってるあたり平城京なんかと同じつくりだったとか。
妙な場所に… と思ったら、当時は海岸に近かったらしい。
佐波神社に合祀された八幡宮は、というか当時の建物は悉く消え、茫々たる原っぱと化している。
ところが発掘してみると、色々出てきたそうな。
八幡宮跡は庭石のような何かと説明看板しかなく、浜宮のような想いに耽る場所ではなかった。
国衙跡の北方面に位置するのが、元長州藩主毛利家の居宅 旧毛利家本邸。
いつの時代も地勢が良いのは変わらない。
広々として空気も澄みきって梢や風が心地よいリフレッシュできる場所。
広々とした公園として保存されていました。
大化改新後、中央集権的な国づくりのために全国に置かれた役所の1つです。
ここに多くの役人が派遣され、周防国の政治の中心として栄えた場所です。
その役人には、清少納言の父、清原元輔もその一人です。
ここ周防の国衛は、全国にあった国衛に比べ長く存在したようです。
国衙跡の北方面に位置するのが、元長州藩主毛利家の居宅 旧毛利家本邸。
いつの時代も地勢が良いのは変わらない。
広々として空気も澄みきって梢や風が心地よいリフレッシュできる場所。
「地図から読む歴史」(足利健亮著、講談社学術文庫)の"第3章古代地方行政の中心地、国府"によれば、この周防国府跡から国府の平面構成の研究が始まったらしい。
確かにここは国衙という地名も残っている。
住宅街の中だが広い土地が確保され、少しだけ古代に想いを馳せられる。
名前 |
周防国衙跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
国衙跡の前の道路を通るだけですが、たまにペタンクの試合とかやってますよ🎵めっちゃ、広いので子供連れて来たり犬の散歩などちらほら見かけます🎵