車お遍路の方も是非参拝してください御朱印は焼山寺で...
衛門三郎病没の地伊予の松山の富豪。
横暴で情けも無く、人望のない人物。
自宅前に托鉢の僧として現れた弘法大師を八日連続で追い返し八日目には鉄の托鉢の椀を取り上げて投げつけ八つに叩き割った。
それ以後家族に不幸なことが続き、お大師様に謝るために20回四国を遍路巡礼するも会えず、閏年の年に逆周りをしこの地で病に倒れる。
亡くなる前にお大師様が現れ、来世は自分の郷里でまた生まれたいという衛門三郎の願いを聞き、臨終の左手に小石を握らせる。
翌年、手にその小石を握った赤子が松山で産まれる。
歩き遍路にて一泊しました。
焼山寺後夕方になり、こちらの軒下をお借りして休みました。
助かりました、ありがとう御座います。
梅干し、売っています。
車で焼山寺さんにお参りする途中の右手にあります。
石垣と立派なイチョウの木が目印かと思いますが、なければ見落としてしまいそうなくらいちんまりしたお堂です。
お燈明やお線香は火気の管理上遠慮頂きたい、とのこと。
雨模様の中お参りしましたので、お大師さんと衛門三郎さんの銅像の目から涙が流れているように見え、胸がつまる思いでした。
この度は、寄井観光の運転手さんのおかげでお参りすることが出来ました。
ありがとうございました(宣伝などではありません、念のため)。
焼山寺へ向かう道沿いの、比較的標高の高い場所に位置します。
大きなイチョウの木が目印となります。
西側には駐車スペースもあります。
山の中腹にありますが、見晴らしの良い場所に境内があり、風通しが良く明るい場所です。
但し、標高が高い場所であるが故、平地より気温が2度程下がりますので、季節によっては寒く感じられる場合があります。
杖杉庵(じょうしんあん)と言います。
衛門三郎は、栄華を謳歌していたが空海をあしらった為、天罰を受け全財産を失ってしまった。
許しを請う為、空海を探して四国霊場を巡って行った。
これが四国霊場巡りの元祖たる所以。
四国霊場を巡る事、数十回、遂に空海に会い許しを乞う事が出来たが力尽きこの地で亡くなったとのです。
衛門三郎がいなければ今の四国霊場の慣習が無かったかもしれませんね。
車で霊場巡りをされる方なら、この前の道は通るかと思いますので是非参拝して欲しいですね。
御朱印は、焼山寺で頂けます。
2020.2.8参拝。
とても見晴らしの良い場所にあります。
(^o^)
梵鐘を鳴らしてスッキリ爽快。
四国遍路元祖、衛門三郎終焉の地。
衛門三郎は伊予の河野氏の一族、51番石手寺をはじめ46番浄瑠璃寺、別格の文殊院など伊予松山の地に伝説が数多く残っている。
衛門三郎が弘法大師に許しを請う銅像があります。
四国お遍路巡礼の開祖の人物だそうです。
車お遍路の方も是非参拝してください🙏御朱印は焼山寺で頂けます。
衛門三郎伝説で衛門三郎の家の前に一人の旅のお坊さんがやってきて、托鉢の鈴を鳴らしました。
昼寝を邪魔された衛門三郎は、お坊さんを追い返そうとしたのですが、動かないので、竹ほうきでお坊さんの椀をたたき落としました。
すると椀は、8つに割れて飛び散ってしまいました。
そんなことがあった翌日から、衛門三郎の8人の子供が次々と死んでしまいます。
さすがの衛門三郎も声を上げて泣きました。
ある夜、衛門三郎の夢枕にあの旅のお坊さんが現れ、「全非を悔いて情け深い人になれ」 と告げます。
夢から覚めた衛門三郎は、自分が強欲であったことを悔い、あの時の旅のお坊さんは弘法大師だと気が付き、弘法大師に許してもらおうと、四国を巡っている大師を捜して、霊場を順うち、逆打ちしますが、なかなか出会うことができずに、二十数回まわったところで、の第12番札所・焼山寺で倒れてしまいました。
その時、衛門三郎の前に弘法大師が現れ、「これでおまえの罪も消える。
最後に何か望みはないか」と、声をかけました。
その場所がここです。
弘法大師に関する逸話より抜粋いたしました。
2016年3月歩き遍路にて立ち寄り。
お遍路さんの元祖衛門三郎はこの地で息を引き取り、墓標として三郎の杖を立てると杖から芽が出て杉が育ったことから杖杉庵と名付けられた言われている。
トイレあり。
焼山寺さんに参拝される前に寄って行くのがいいですね。
ここの参拝した分は焼山寺で納経帳に御朱印してくれます。
もちろん御影札もいただけます。
2014/09/10 9:50に杖杉庵(じょうさんあん)に参拝した。
当庵は、伝説に四国遍路の元祖といわれている衛門三郎最期の地である。
遍路の途中で寄りました。
南無大師遍照金剛。
名前 |
杖杉庵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
見晴らしの良い場所にあります。
大きな木のそばから見る山並みは美しかった。