地元地域の氏神様毎年大晦日からお汁粉などのおもてな...
足立区栗原地区の鎮守様。
境内はよく清められ、静謐で、明るい雰囲気の良い神社。
玉砂利と樹木が美しく、小鳥の鳴き声の聞こえるなど街中の神社としてはこれ以上の雰囲気をもつ神社を私はしらない。
摂社の稲荷社の鳥居の一つは、かつて本神社の氏子であった日清紡東京工場内(現在の西新井アリオ)あった稲荷社の鳥居を移築したもの。
稲荷社のほか吾妻神社がある。
宮司は常駐しないが、御朱印は、本神社を兼務する島根鷲神社でいただくことができる。
良さそうな、気を感じます!! ここに来ると落ち着く!!
感染症対策として、鳥居にアルコールが設置されておりました。
広くて綺麗な神社です。
〓参拝者がひっきりなし‼️本殿に辿り着くまで石鳥居が二基、一つ一つ潜る度に身が引き締まり、そして境内の空気が清々しく綺麗でした✨お参りした帰りはなぜか体が軽くなりました😄〓真ん中は神様が通る道です、鳥居を潜るときは「男性は右側」「女性は左側」を通ります。お賽銭をそっと入れ⇨鈴を鳴らし⇨二礼二拍手(住所•氏名•干支を心の中でつぶやき)⇨頭を深く下げて一礼⇨帰るときも鳥居で止まり本殿へ向かって深く頭を下げて一礼なのだそうです。忘れそうですけど😅…
鎮守様なので、御参りにいってきました。
手水舎は普段、締めているので竹筒の上の小さな竹筒を持ち上げると蛇口を回すことができます。
末社に吾妻神社。
御朱印は徒歩3分の島根鷲神社でいただけます。
地元地域の氏神様毎年大晦日からお汁粉などのおもてなしありが嬉しい😆
神社周辺には「牛込」の姓が多く神社復興に御尽力されたそうです。
晴れた日には日向ぼっこに最適な場所です!
少し豪華な神社、ラジオ体操も、夏祭りもやれそう。
小さいですが 昔のように活気あるお祭りや 元朝詣りの人も多くなり次の世代に繋いでいけるのでうれしいです。
2019年3月10日(日)am9:10に訪れました。
広々とした平地の境内に黒松の高木が伸び、雰囲気が海辺に佇む神社に来たような錯覚を覚える。
本殿右に「吾妻神社」左に「稲荷社」があります。
(御朱印は島根鷲神社にていただけます。
)
無人の神社だが氏子さん達による清掃が隅々まで行き届いている。
清々しい場所だ。
昔の地名を残す神社。
住宅街の真ん中に突然出てくる神社で、敷地はそれなりに広い。
境内にはいると、2月上旬だったので綺麗な梅が咲いていた。
拝殿のほかに稲荷神社のほこらや合祀した他の神社が祀ってあった。
狛犬はほどよく苔むして、見た目には歴史を感じる色をしている。
台座をみると、昭和28年6月と書いてありました。
獅子の足元には子供の獅子がいてあたらしている感じです。
子供の獅子にはひびが入り、それを雑に修復したような跡がのこっていました。
境内のなかには石造りの力石ではなく、文久・宝永と書かれた古銭の形をしたものが。
これはなにを表しているのだろう。
文久:1861年から1864年宝永:1704年から1710年調べてみると、文久永宝(ぶんきゅうえいほう)と読むそうで江戸時代幕末に流通した通貨でした。
確かに形は通貨です。
なぜ、神社に祭られているのだろうか。
不思議だ。
明治5年に村社とされたそうですが、正式には、「東京府管下武蔵国南足立郡梅島村大字栗原村 村社 氷川神社」"大字"という字を見ると、梅島村らと栗原村が合併してひとつになったのだろう。
この地区は旧・栗原村ということになる。
その村社だったので現代でも、神社の名前に栗原氷川神社とつくのでしょう。
氷川神社が数多くあることも幸いして、かつての地名が残れていました。
"大字"、"字"は市町村より小さい単位の行政区画を示す。
A村とB村が合併して、C町になったりすると、C町大字Aとかと表記するそうです。
ちなみに町も丁もかつては小さい行政区画の単位。
田んぼの畔(あぜ)の内側を表すのが"町"だったそうで、"町"の一辺を表現するのが"丁"だそうです。
創建年代不詳、村社、栗原村の鎮守であった。
1574年に再建、1872年に村社に列格したという。
境内社が2社鎮座しています。
御朱印有(島根鷲神社にて拝受可)
名前 |
栗原氷川神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3858-1599 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
足立区島根4丁目の鷲神社で、御朱印をいただくことができます。