名前 |
城橋の句碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.0 |
国破れ螢哀しむ城の橋 城舟 句碑の裏面には、この句碑を建立した経緯が刻まれていた。
「城橋は不思議な集落である。
道の両側には商家が並び、下駄屋、提灯屋、蔵屋…」と書かれ、「…明治の中頃、足袋職人であった秋山幸三郎がこの地にあった町医者の家を買い取り、店を出した。
…」「…戦後の食量難打開策の一つとして印旛沼干拓事業により、…橋の両側数軒が立退くこととなった。
秋山足袋屋も移転となり…、少しばかりの土地がここに残った。
」とあるから、この城舟氏は、秋山家の人ではないかと思われる。
句碑の建立は2005年夏とあった。
八千代は明治時代から俳句の盛んな土地であり、この城橋の他に、吉橋、麦丸など多くの俳人が居て、近くの飯綱神社神社には2枚の句額が奉納されている。
近くの島田という地区に、梅舟と孤舟という号の俳人が居た記録が有るので、城舟氏はこの人と縁があるのかも知れない。
又、この城舟氏の名前を、最近の「八千代俳句連盟」の投句者の中から探そうとしたが、未だ、見つかってはいない。