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名前 |
赤沢城跡(塩崎新城) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
塩崎城と同じく小笠原氏の一族赤沢修理大夫が居城としていたとされ、応永7年(1400)の大塔合戦で敗れた小笠原勢が逃げ込み、3年後には室町幕府が派遣した軍勢に抗う村上氏を盟主とする国人衆が赤沢城に立て籠もっている。
天文22年(1553)には主君の赤沢氏を追いやって城主となっていた桑原氏が武田氏に降り、川中島の戦いでは武田方の拠点として使用されている。
長野自動車道に沿うように続く道はトンネル入口付近でヘアピンカーブのように蛇行するが、その蛇行したあたりに越将軍塚と呼ばれる古墳への入口があるのでそこから登った。
他にも鉄塔保守用の道があり城跡へ行けるようだった。
登りはほとんど緩い傾斜で古墳とは反対方向へ分かれる道を行くと堀切が現れた。
鉄塔保守で使われたためか堀切は半ば埋まりつつある。
笹薮に覆われた二の郭を通り抜けると土塁が見られ奥にはまた堀切がある。
主郭の大部分はやはり笹薮となり斜面に崩れた石積の残骸が見受けられる。
北へ伸びる尾根上にも郭が並ぶが藪化が進んでいる。