生年不明 - 応神天皇41年(310年?
少し登った所にある神社。
神社近くの登り口から登った所に古墳が3つある。
看板があるのでわかるが看板がなければとても古墳だとは思わない。
応神天皇の子孫が祖先供養のために造営したと伝わる吉田経房と兄の海部信方がそれを引き継ぎ応神天皇の霊を慰めた大山守皇子(おおやまもり の みこ、生年不明 - 応神天皇41年(310年?))は、記紀に伝えられる古墳時代の皇族(王族)。
応神天皇の皇子で、母は高城入姫命(品陀真若王の女)。
仁徳天皇・菟道稚郎子の異母兄に当たる。
大山守命とも。
応神天皇40年1月、菟道稚郎子の立太子の際、山川林野の管掌を任されたが、兄である自らが皇太子になれなかったことを恨んでいた。
応神天皇の崩御後、密かに皇位を奪おうと謀り、皇太子を殺害するために数百の兵を挙げた。
しかし、この謀は前もって大鷦鷯尊(おおさざきのみこと。
後の仁徳天皇)と皇太子の察知するところとなり、菟道川(うじがわ)の渡河中に渡し守に扮する皇太子の計略によって船を転覆させられ、救援を請うも空しく水死した。
遺骸は考羅済(かわらのわたり。
現在の京都府京田辺市河原)で見つかり、那羅山に葬られたという(那羅山墓)。
現在、この墓は奈良市法蓮町所在の円墳に比定され、宮内庁の管理下にある。
なお、子孫は遠江国に下ったらしく、後裔氏族として土形君(ひじかたのきみ。
城飼郡)・榛原君(はいばらのきみ。
榛原郡)などが知られる。
遠江国から分家が阿波にも大山神社などを造営。
いにしえの古墳群と神社の雰囲気が気持ちをリフレッシュしてくれます。
徳島県阿波東条神社。
名前 |
皇子神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
寂しい感じですこじんまりとしている!階段のぼるひつようがある。