今日は伝統ある祭礼が行われています。
蒙古襲来の地。
宗助国が80余騎で蒙古軍900雙。
討死した助国らの霊を祀っている。
山の上から見た助国はその船の数に驚愕しただろうに、決死の覚悟で戦いに向かう。
その胸中は対馬の宗家というプライドか?
神社はとってもきれい。
歴史の説明も詳しく,トイレ等の設備も万全でした。
地元の人からも愛されている神社なんだなと感じられます。
ただ,浜はゴミだらけ。
元寇の上陸した場所です。
浜辺の直ぐ近くにあり、駐車場は神社を少し過ぎて右に曲がったところにあります。
浜にはゴミがたくさん流れ着いていました…。
◆宗右馬允助國(宗助国)公を主祭神とする神社です。
◆助国公は、人気のコミック『アンゴルモア元寇合戦記』でも描かれ、遠路からお参りする人も増えました。
◆宗助国公は、蒙古・高麗の三万人の大軍に、わずか八十騎で立ち向かい壮烈な戦死を遂げました。
一方で、対馬小太郎と兵衛次郎を大宰府に急派、いちはやく国難を伝え、本土決戦の準備の時間をかせぎました。
◆境内には、「小茂田浜の歌」歌碑がありましす。
♪♪頃は文永十一の♪♪浪の花立つ神無月♪♪傲慢無礼の蒙古勢♪♪海を覆うて寄せ来る♪♪助国公を始めとし♪♪一族郎党おしなべて♪♪忠義一途の對馬武士♪♪頼む心の一すじは…。
◆また、元寇750年を期して建立された助国公の騎馬像もあります。
◆現在の我が国は、通常兵器だけでも、世界2位の軍事大国・中国、3位のロシア、30位の北朝鮮…これらの国家は、いずれも核兵器を保持している敵性国家群に囲まれています。
◆元寇当時の状況を思い起こし、国難に立ち向かった先人を思い、防衛の備えを強くしなければなりません。
◆多くの方々の参拝をお待ちしています。
近い将来に「小茂田浜の歌」が、全日本合唱コンクール全国大会の課題曲となることを心より希望します。
元寇上陸の地で戦死した将士の霊が献られてます。
歴史教科書を身近に感じる事が出来ました。
元寇の地、小茂田濱にある神社。
歴史を感じることが出来ました。
海も綺麗なのでお散歩と併せて散歩されたらいいと思います。
元寇当時は海岸線がずいぶん奥まで入っていたそうです。
元寇の歴史を語る神社でした。
宗一族の奮闘が忍ばれます。
神聖な空気✨ 宗助国様より射ぬかれます(_ _)
対馬西南海岸に位置した静かな浜辺の村にある。
AD1274年10月5日=元寇(文永の役)により、この浜辺は対馬島民の死体で埋め尽くされたと言う。
中国軍(元軍と漢軍)と朝鮮軍(高麗軍)の連合軍が日本侵略を目的として小茂田浜に上陸した結果である。
元・高麗連合軍は対馬に続き壱岐、肥前国を蹂躙して博多・筥崎宮、宇佐に侵入、その頃には元寇戦に参戦する日本武将達が次から次へと北九州へ集結して来た、遂に太宰府に於いて元・高麗連合軍が敗走することとなる。
翌日1274年10月21日、元・高麗連合軍は「兵力不足と疲弊の為」博多湾から撤退した、帰途途中で暴風雨に遭遇して・・分かっているだけでも座礁146艘・漂流200余艘・兵員13,000名と武具類全てを失う結果となった。
尚、元寇は1281年(弘安の役)に再来して、長崎県松浦市の「鷹島」で暴風雨に合い「壊滅」した。
この時、元・高麗連合軍の大将達上層部は異国の地に自国の10万の兵員を捨てて逃げ帰っている。
詳しくは「ウィキペディア=元寇」を参照してください。
対岸の韓国が見えました。
でも、地元でも見たことある人は少ないらしいから、ラッキーでした。
元寇の文永の役で壮絶な戦死をした宋助国像がある神社です。
元寇の古戦場跡があります。
本土の人間があまり知らない、対馬の元寇の歴史がわかります。
空港方面からは海沿いの道を行くとなかなか大変で、東西にトンネルを通って行く道の方が楽です。
日の入の時間に合わせて行くと、対馬海峡に沈む夕陽が見えます。
11月の第2日曜に元寇の際に戦った事を記念して浜に矢を構えるイベントがある。
歴史を読むと元軍1000に対し80騎とか絶望…御朱印は無い。
対馬にとって歴史上大事な浜です。
2020.08.13 対馬旅行にて訪問しましたみんな大好きアンゴルモア元寇合戦記やGhost of Tsushima(ゴースト・オブ・ツシマ)の舞台となった所ですね元寇合戦の際に3万の蒙古軍に挑んだ宗 助国が祀られています解説板があり、当時の状況が詳しく書かれていますまた、今年7月末に元寇750年記念として、宗助国の騎馬像が建てられたそうです非常に立派な銅像です、須く観るべし毎年11月第2日曜に慰霊の大祭があるそうなので、また訪問したいですね。
韓国頼みの観光は要らない。
元寇は朝鮮軍がモンゴルの機嫌を取る為に行われたものだ。
朝鮮軍の蛮行の記載なし。
簡中韓英日の表記。
韓国に忖度したのだろうか?
元寇!蒙古襲来の地!日本人なら是非宝物資料館を見て、歴史を学んで頂きたい所であります。
元寇の激戦地に建てられた神社です。
社殿は凡庸ですが史跡としての価値を加味して★三つの評価です。
看板は激戦の経緯を日本語と英語と簡体中国語、そしてハングルで記載してあります。
フビライに日本の征伐を献策したのが高麗の忠烈王であり、元軍の一翼を担い対馬の良民を虐殺したのが高麗の兵だったのですが、そのあたりの史実はスルーされていました。
今日は伝統ある祭礼が行われています。
豆餅を地域の皆さんがたくさん作リます。
美味しくて大人気です。
すぐに売り切れてしまうようです。
普段は静かな場所ですが、夏場は夕涼みを兼ねて黄昏るのに適したスポットです😊
CYC+G 생각보다 많이 작았던 신사. 의미는 있으나 그닥 볼것은.
戦の神様ですかね。
時代が時代なだけに、肚の底に力が入ります。
アンゴルモアがコミック売上で上々らしいので、いつか若者や歴史好きの人で溢れるといいです。
名前 |
小茂田濱神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0920-56-0274 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
元寇 文永の役の際、この地に攻めてきた元・高麗の3万の軍勢に、たった80騎で戦い玉砕した対馬守護代 宗助国を祀る神社です。
小茂田濱の戦いの説明板や宗助国の銅像などがあり、対馬を守ろうとした英霊を今も崇敬され祀られています。