45口径砲塔40.6cm連装カノン砲1基を据えた砲...
坂の手前で車止めがあり、400m徒歩で登りました洞窟は鉄筋コンクリートで中はひんやり真っ暗でひと気もなく不気味な感じでしたが行ってみる価値はあるかな脇の細い階段を登ると砲台を上から見ることが出来る。
昭和4年建造。
壱岐の黒崎砲台と同じく、ワシントン海軍軍縮会議で建造中止となった軍艦(土佐とも赤城とも言われる)の主砲を流用した砲台で、当時としては世界最大級の砲台だったようです。
山をくり貫いて作られた砲台跡をくまなく見学できます。
外から上に上がる道があり、上から砲台が据えられていた大きな穴を見ることが出来ます。
目の前まで車で来れます。
駐車スペースペースもあり。
入り口左手に配電盤があり、スイッチを押すと構内の照明が30分点灯されます。
入り口のライトを押すと30分点灯するので、あかりをつけて中を見ることができます。
入り口付近の壁は迷彩柄になっているそうなので、お見逃しなく。
外から右へ回り、上から見下ろしたり、韓国展望所の方へハイキングもできます。
■豊砲台は、昭和4年、45口径砲塔40.6cm連装カノン砲1基を据えた砲台として建設されまた。
昭和9年までに付帯施設も完成し、砲身長18.5m、砲身重量108トン、実用射程は30.3kmという、当時は世界最大級の巨砲を擁した砲台です。
対馬海峡・朝鮮海峡の大部分を射程におさめることができます。
■砲台のコンクリートの厚みは、砲塔部分で3メートル。
それ以外の場所も2メートルとなっていて、現在もその姿をとどめており、圧倒されます。
■大東亜戦争の敗戦後、連合軍によって砲塔は撤去され、砲台は爆破されました。
しかし、あまりに強固な防御壁を爆破できず、当時そのままの姿で残っています。
■砲台の主砲は、巡洋戦艦として起工し、その直後に航空母艦に改装されることになった、「赤城」の主砲を転用したとされています。
一説には、同じ40センチ砲を装備する予定だった戦艦「土佐」のものだという説もあります。
■結果として、1発も火を噴くことなく戦争が終わってしまいました。
国防の最前線で要塞に勤務していた兵士の姿を想像しながら、巨大な砲台の遺構を味わうことができます。
若干山を登った先にあります。
車で来られる方は3台くらいなら駐車可能。
中は真っ暗ですが、入口付近の赤いボタンを押すことで30分間電気が付きます。
かなり静かで音が響くので、1人ですと少し怖いかしれないです。
奥まで行くと写真に写っているような砲台跡となります。
また、坑道外から獣道のような道を進むと砲台の上から見下げることができます。
さらに韓国展望所方面に道が繋がっているようです。
韓国展望所からすぐの場所にあります。
入り口からは真っ暗で中に入ることを躊躇して今いますが、横に電気のスイッチがありますので電気をつけて入ると良いと思います。
劣化している部分もありますが、建物の機能性を行こうとしても学ぶことができる場所だと感じました。
奥まで進むと砲台が設置されていた穴が開いていて、トンネル部分から空を見上げることができます。
ジブリアニメを彷彿させる佇まいです。
廃墟マニアには堪らないスポットだと思います。
(一人で行くのは怖いです。
心霊スポットのような空気感もありました。
)
昼間だが電気はついてなく、真っ暗だった。
地図を見ると東西の両方向が狙えるのがわかる。
射程はどれくらいだったのだろうか。
やや寂れていましたが電気も付く様にしており安心して見て回れました。
中に入ると砲台の凄さを実感できます。
仕事の合間に…ちょっと行ってみた。
歴史を感じる建造物です。
さすがに…夜独りで来る事は無いなぁ!
韓国展望台の近くにあるらしいので行ってみた。
砲台の前まで車でいてたみたいだが、今はがけ崩れのため、徒歩で400メートル。
中は暗いが入り口左手にスイッチがありタイマーで30分たったら消える。
台風の影響でしょうか?観光客の為に早めの整備が、必要です。
2020/09/19に行ってきました。
電灯は点きました。
土砂崩れのため100メートルほど手前に駐車してそこから徒歩で行きました。
数か所で土砂崩れがあり、危険な状態でした。
戦艦時代の空母赤城の主砲が設置されていただけあって、かなり広く、しっかりしていました。
(大戦後米軍が爆破しようとしても壊れなかったとか(その痕跡は垣間見えます))
太平洋戦争が終わるまで当時最大級の大砲を備えた砲台だったようです。
巡洋戦艦赤城(後に航空母艦に改装)の40㎝級の大砲を移設したといわれています(異説あり)。
40㎝といえば長門や陸奥と同じ大きさということになり、大和級に6㎝ほど足りないだけで、非常に大型だったといえます。
射程は約30㎞で、対馬海峡の往来ににらみを効かせていたということでしょうね。
結局、一回も大砲を打つことなく終戦を迎えます。
戦後はアメリカ軍によって解体されそうです。
現在、砲台からすぐ沖合いの海栗島には航空自衛隊基地があり、国境を守っております。
対馬の最北端のこの地は、今も昔も非常に重要な場所であると思われます。
構内は暗いですが、入り口に照明のスイッチがあり、30分は点灯されます。
比田勝方面に行く際はぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
素敵な遺構なんですが、少し内部の説明が分かりにくかったです。
もう少しイメージがわく説明書きなら、もっと面白いのではないかなぁ?と思います。
夜間散策は怖くて無理です。
電気は付きますが、昼間の明るいうちに見学するのが良いと思います。
他の砲台跡地と比べて、駐車場からほとんど歩かなくて良いところがいいです。
雨だったせいか、日韓関係悪化の影響か、観光客は他に誰もおらず、建物が、ひっそりと歴史を記憶する様をしみじみ味わうことができました。
陰影のとても美しい廃墟でした。
昭和初期に建設された軍事施設当時、世界最大級の大砲が設置されされていました。
結局、実戦では一発の大砲もって撃つことなく終戦を迎え、大砲は破壊されましたが施設はそのまま残っています。
この手の施設では珍しく内部を自由に散策出来ます。
中に入る際は入口にある照明点灯ボタンを押すと暫くの間、内部が点灯されます。
敵の攻撃に絶える為の分厚いコンクリートの重厚なつくりを実感できると思います。
また、施設の脇にある遊歩道を登ると、上から眺めることも出来ます。
近くにある韓国展望台にここへの案内板夕遊歩道の案内がありますが、結構歩きます。
車で巡られる方はそれぞれ車で訪れる方が良いかと。
行った方がいい場所。
ただ、残念なのが、観光に力を入れているはずなんですが、中を見学できるんですが!真っ暗で、怖い!電気のスイッチがあるんだが、何故か、[パチっ]って音はするが、電気はつかない、時間がたてば、つくか?と、待つが付かない。
怖いので、手前だけ見て、山登りしました。
便所横の右脇の細い道を歩んで行くと、上からのこの施設が見えますが、大砲跡なんで、大砲はないです。
単なるデカイ穴があります。
ビックリするぐらいでかい。
策はありますが、お子供さんは気をつくて覗いてください。
このポイントの先に、山登りすると、韓国が見える展望台があるようですが、木が生い茂り、韓国だけでなく、対馬も見えませんでした。
または、場所が違うのかな?
対馬北端にある昔の砲台跡地です。
ここには45口径40.6センチ砲という巨大な砲が設置されていました。
戦艦大和の46センチ砲は例外としても、当時の日本における最大クラスの砲になります。
対岸の朝鮮半島まで約50kmという本地にあって、有効射程30kmの砲ですから対馬海峡の大半を射程におさめていた訳です。
(おそらく30kmという数字は砲撃の観測ができる限界と思われ、砲弾を飛ばすだけならもっと遠くまで飛ばせる筈)現在では鉄筋コンクリートがかなり劣化し、少々不気味な雰囲気もありますが、内部はアスファルト舗装され安全に歩きやすくなっています。
第一次大戦後、激しい軍拡競争による財政負担に苦しむイギリス・アメリカ・日本などの主要国は、ワシントン海軍軍縮条約を締結し、旧式戦艦および未完成艦の廃棄を決定しました。
その結果、余剰となった艦砲は東京湾・対馬・壱岐・鎮海などの重要海域の要塞砲に転用されることになります。
豊砲台には、その際に航空母艦に改造されることになった戦艦 赤城の40.6cm加農砲一基2門が移設されたと言われています。
第2次世界大戦終結後、米軍より武装解除されましたが、鉄筋コンクリートの厚みは2mにも及ぶ本砲台は完全には解体できず、今も当時の姿をいまに留めています。
韓国展望所から尾根づたいで歩きました。
あと何メートルとか、標識が無く、いつ着けるのか不安になりました。
現地は、金網で囲われています。
とてつもなく、巨大です。
下の道路から地下通路を見学できます。
(한국전망대에서 내려와 화장실 옆 안내 표지판을 따라 가면 된다. )김수종작가의 글을 대신 옮겨본다. 우측 바다 쪽으로 더 나가 있는 ‘구노시타자키(久ノ下崎)’로 천천히 걸어갔다. 동백나무가 무척 좋은 곳이지만, 사실 이곳에는 일제 강점기 1929년~24년까지 조선인 징용자 2만 명을 동원하여 만든 ‘토요호다이아토(豊砲台跡)’가 있다.지하에 터널모양으로 만들어진 포탑포대로 제2차 세계대전 당시에 그리스를 점령한 독일군이 보스포러스 바위 절벽 아래 설치한 포대였던 ‘나바론 요새’를 연상하게 하는 곳이다. 포탑(turret)이란 적의 화기나 공중폭격으로부터 포, 사수, 포실(砲室) 등을 방호하기 위한 목적으로 만들어진 강철제의 장갑구조물이다. 원래 대형전투함의 포에 채용되었으나 요새에도 설치된다.20세기 초에 발명된 유압식 구동장치에 의하여 무거운 포탑을 자유롭게 운동시킬 수 있게 되어 현대적인 포탑의 완성을 보게 되었는데, 그 후 각국의 주력함에 포탑을 설치하는 것이 보편화되었다. 그러나 제2차 세계대전 후 개발된 미사일이 각종 군함에 설치되자 포탑으로는 그것을 막을 수 없게 되어 최근에는 거의 사용되지 않게 되었다.일본제국시대에 쓰시마에 31개의 포대가 설치되었다고 하며 이곳의 포는 사정거리가 30KM에 달하는 대형 포탑포대였다. 위에서 바라 본 아래의 모습을 보고는 깜짝 놀랐다. 지나가는 어르신에게 물어보니 “전쟁 때 쓰던 포대의 흔적”이라고만 했다. 위에서 보는 것보다 직접 들어가 보기 위해 아래로 이동했다. 입구에서 들어가 보니 정말 규모가 대단하다. 단순히 1층 구조가 아니라 2층으로 된 터널모양으로 실내에는 여러 가지 시설이 있었다. 그리고 위에서 보았던 큰 구멍의 모습도 보았다. 아래에서 위를 보니 정말 대단해보인다.어두운 길을 이리저리 둘러보았다. 노동자들의 피와 시간의 흔적이 고스란히 담긴 곳에 서 있으니 무시무시하고 두렵기도 하다. 80여 년 전 이곳에서 고생했을 많은 사람들의 모습도 어른거린다. 정말 전쟁은 없어져야 할 재앙인 것 같다. 쓰시마에 여러 곳이 있다고 하니 다음에는 다른 곳을 한두 곳 더 가봐야겠다. 다시 한 번 쓰시마에 너무 많은 역사유적이 있음에 놀란다.[출처] 김수종 작가 일본 쓰시마를 둘러보다. 2017년 3월 고니시 마리아의 신사|작성자 김수종
廃墟感のある砲台跡。
車ですぐ近くまで行けます。
1度も使われる事なく終戦を迎えたそうです。
人力でここまで掘るすごい。
名前 |
豊砲台跡 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
0920-86-4839 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.tsushima-net.org/tourism-history/toyo-battery-ruins/ |
評価 |
3.9 |
時の人々は5年も掛け、国のために造ったことに感動です。