名前 |
アームストロング砲 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
展示場所が、《カノン砲》の隣りだった場所から移動したようですね。
この《アームストロング砲》ですが。
『イギリス』の《ウィリアム・アームストロング》が、u003c1855年u003eに開発したもので。
《マーチン・フォン・ウォーレンドルフ》が発明した「後装式ライフル砲」を改良し開発した。
装填時間は従来のu003c数分の一u003eから、大型砲ではu003c十分の一u003eにまで短縮され。
大砲としての実力をかなり引き上げた物だったようです。
そして・・・日本では『佐嘉藩』がこの砲の製造を試みたと言われているが。
実際に製造した“砲”が『アームストロング砲』と同等の物だったかについては、「第二次世界大戦中」の金属類回収令によりu003c佐嘉藩製造u003eとされるものが供出され遺失したため“検証不可能”となっているとの事。
ただ・・・『アームストロング砲』を製造するには、パドル炉、圧延器、加熱炉、蒸気ハンマー、などの大規模施設が“必須”であり。
当時の『イギリス』ですら最新最高の設備を持った工場でしか生産出来ない代物であり。
『佐嘉藩』が、当時イギリスに匹敵するほどの製造設備を持っていたかは・・・疑問?とされているようです。
とは言え、田中久重(からくり儀右衛門)による記述には、“問題の砲”は鉄製の〈元込式6ポンド砲〉だったとあり。
〈福岡日日新聞〉の「北島磯舟」によると、〈32本の施条(ライフリング)〉が刻まれていたとされるようです。
(以上までは、Wikipediaより参照)幕末期の「佐嘉藩」は、先見性の高い「鍋島直正」公の元、反射炉を日本で最初に作ったり。
蒸気機関車を試走させてみたりした史実を思うと。
佐賀の人間としては、作らないまでも。
『イギリス』より密かに輸入したりして、構造を理解し、試作しようとしていたのではないだろうか?と期待するのです。
ちなみに、このライフリングが〈有る〉のと〈無い〉のでは。
射撃の正確性、飛距離に格段の違いがあり。
これにより、佐嘉藩は《戊辰戦争》において〈上野〉や〈奥羽〉の戦いで用い。
《佐嘉の大砲》として威力を示したのでした・・・