江戸時代になって繁栄を迎えた御手洗の新興港町もあり...
めちゃくちゃ良かったです。
瀬戸内の港町には、尾道や輛のように中世以来の古い伝統を持つ港町がある一方、江戸時代になって繁栄を迎えた御手洗の新興港町もあります。
この倉橋島の鹿老渡も新興の港町として繁栄しました。
江戸時代中期になると、それまでの櫓漕ぎが、木綿帆を用いることで帆走能力が向上し、一気に沖合いをすすむことも可能になります。
その結果、「沖乗り」航路で、鞆から弓削瀬戸へ入り、岩城~鼻栗~御手洗~鹿老渡~津和地~上関へと往来するルートが開け、そのルート場の鹿老渡港が急成長します。
新しい港町の生成と繁栄はこの「沖乗り」の発達によるところが大きいようです。
ここには享保十五(一七三〇)年にはじめて人びとが移り住んだと記録に残っています。
それまでは地の果てでした。
それが寄港する帆船を相手に「風呂桶一つ持っていても楽に暮らしていける」といわれたほどで、女郎屋をはじめとする港町の機能が急整備されていきます。
しかし、にわかに繁栄を迎えた港町の多くは、帆船時代の終わりとともに急激に衰退していったのです。
昔の面影をこの港に探すのは難しくなりました。
この神社の佇まいにその繁栄ぶりの痕跡が見えてきます。
海際の高台にある神社(゚ω゚)
名前 |
伊勢社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
目の前の砂浜が綺麗ですよ場所がわかりにくいけど。