昭和8年5月急逝した。
名前 |
富田重助翁頌徳碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
〒441-8077 愛知県豊橋市神野新田町ソノ割20−35−2 |
関連サイト |
https://kantomi.jimdofree.com/%E9%A0%8C%E5%BE%B3%E7%A2%91/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E9%87%8D%E5%8A%A9/ |
評価 |
4.0 |
神野新田の開拓当初から金之助の新田工事・経営を助け、金之助が亡くなった後は新田経営を指揮してきた甥の富田重助は、昭和8年5月急逝した。
小作人たちは金之助の先例にならって、頌徳碑を建設することになり、小作者有志・新田関係者一同によって、神富神明社の境内に、鳥居を中央にして、金之助のそれと相対して頌徳碑を建設し、昭和10年(1935)5月19日に除幕式を行った。
碑文には重助翁を称え、下記文言がが彫られている。
富田重助重慶翁は、明治26年、神野・冨田両家の事業として新田開拓を企図せられ、爾来神野金之助重行と力を協せて、専ら之が完成に尽瘁すると共に、新田内諸般の施設を画築し、運用経営皆意を須ゐざるなし。
翁の事に当たるや精到綿密、細務と雖も苟くもせず。
偉業達成の功、翁の力に俟つ所真に甚大なりと謂うべし。
翁、人と為り恭謙、常に誠心温情を以て人に接す。
我等も亦た翁を慕ふこと宛ら慈父の如く、境域の中和気終始藹藹たり。
翁昭和8年5月をもって長逝せられ、茲に其三回の忌辰を迎えんとす。
我等一同乃ち相図り、此地を卜して碑を建て、文を誌し、深く其遺徳を尚び、永く其功績を傳ふ。
昭和10年5月 神野新田借地人一同。