出城として機能したものと推測される。
向笠城砦跡(むかさじょうとりであと)所在地 磐田市向笠(法雲寺付近)築城年 不明築城者 向笠氏形 態 丘城遺 構 無し訪城日 2022/12/15砦があった場所らしいですが、標柱が立つのみで由緒はわかりません。
砦のポイントには民家が建ち、遺構は残って無い様です。
向笠氏は代々、今川氏に仕えていました。
元亀3年(1572年)武田信玄が、遠江に侵攻した際、時の城主・向笠資少は降伏しましたが、翌年に徳川家康の家臣である酒井忠次に攻められ落城しました。
その後は、北条氏に身を寄せ、以後は武笠氏と改称しています。
なので、この砦も元亀3年頃に向笠氏に依って築造された付城なのでしょうか?向笠伯耆守(むかさほうきのかみ)の五輪塔が、菩提寺だった「定福寺」(廃寺)から「新豊院」へ移築され現存します。
名前 |
向笠城砦跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.5 |
平城であった向笠城から南に1kmほどの位置にあり、出城として機能したものと推測される。
向笠城砦は、法雲寺の裏手付近にあったらしい。
比高30m程の段丘の縁に位置しているが、梅園入口に標柱が建っているのみで、由来も縄張りも不明。
東側からの眺望を生かした物見程度の簡素な砦だったのではなかろうか?何しろ西南北三方向は台地から容易に攻めこまれるであろう地形なので向笠城が平地とはいえ詰城にもならないハズだ。